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■ 12号.2001.09発行


[プロフィール]

中村正久氏
1945年中国生まれ。68年北海道大学工学部衛生工学科卒業。民間企業に勤めたあと渡米、ワシントン州立大学大学院環境工学科修士課程修了(M.S.)、イリノイ州立大学大学院環境工学科博士課程修了(Ph.D.)。77年ケンタッキー州立ルイビル大学環境工学科助教授に就任。80年に世界保健機構(WHO)西太平洋地域環境センター勤務。86年に滋賀県琵琶湖研究所に入り、94年から所長。


環境技術は試行錯誤のなかで成熟 琵琶湖浄化、

さまざまな可能性に注目を

自然、人間、社会の諸要素が複雑にからみあう環境問題は迷宮に似ている。出口を求めてさまよう人々の前に次々と壁が立ちはだかる。琵琶湖の汚染という迷宮から脱出することも容易ではないらしい。うっかりすると浄化のための努力や善意が裏目に出ることもあるが、厚い壁に突き当たり試行錯誤するなかでこそ出口を探し当てる本当の技術が成熟するのだという。大いなる成熟を期待したい。

研究成果は世界の湖沼で たくさん応用されている

中村 琵琶湖は今もわからないことだらけですが、琵琶湖ほど研究され研究者が集積している湖は世界にありません。この研究所ができた当初から比べると、今日、格段にいろんなことがわかるようになりました。実際、ここでの研究を参考にして研究を進めている湖沼も結構たくさんあります。
  研究所が設立されたのは1982年、琵琶湖に赤潮が発生したあとです。もともと実際に自ら研究に取り組むというより、琵琶湖研究の情報を集積するセンター機能、研究情報を生かす機関が必要だということでできたのです。だからこの研究所にはホールなどパブリックな部分が多いんです。
   研究者は15人ですが、微生物分野から社会学分野までみんな違う。他分野の研究者とチームを組み、研究スタイル・ことば・評価手法がまったく違うなかでやっていくのです。そのようなトレーニングをする機能がこの研究所にはありますね。

アオコの発生にも構造的要因 現象の因果関係知るのが第一歩

――学際的研究のめざすものは?

中村 とにかく琵琶湖とその周辺で起こっていることがわかるようにすること。  
  例えばアオコの発生にしても社会の仕組みが構造的に起こしている部分が大きい。過去20〜30年間の都市化の結果 、今までは雨が降ってゆっくり水溜りになって少しづつ流れていたものが、ダーッと一気に流れるようになってしまった。あるいは農業の形態も変わり、農家の大半が兼業になったためにゴールデンウィークに田植えが集中する−−こういう現代の社会環境もひとつの要因になっています。
 因果関係を知ることが琵琶湖をきれいにすることへの第一歩。だけど「研究所ができたんだから2、3年で琵琶湖がきれいになるはずだ」という気の早い人もたくさんいたんですよ(笑い)。

――地球温暖化の影響は見られますか。

中村 北湖の底層水の温度が高くなっています。雪解け水が減少傾向で水に含まれる酸素が湖に供給される量 も少なくなっています。湖底に酸素がたくさんあるとリンは鉄にくっついたまま溶け出しませんが、酸素が少ないと溶け出し植物酸素を使ってさらに増殖する。底の酸素が少なくなればある日突然に無酸素化状態ということもある。この兆候と思われる現象も研究所で開発した調査機器によって次第にわかるようになりつつあります。原因は非常に複雑に絡んでいますが、今後温暖化と琵琶湖の関係も注目されるようになると思います。

人工島つくって大規模処理場 効率高いが震災がこわい

――底層水はとてもおいしかったですよ。ところで中村さんのご専攻は……。

中村 環境政策の分析という分野で、昔のことになりますが、学位 論文は下水道を計画するときどういう形態が望ましいかを考えるためのコンピュータモデルに関するものでした。
 人とか下水処理場・パイプの場所・コスト、効率性と水質などが基礎ですがそれらはアタマで考えることですよね。実際はかなり違う。実にいろんな問題や考え方が起こりますよね。

――琵琶湖の場合は……。

中村 滋賀県の下水道、例えば処理場の立地も簡単ではない。「なんで、よその地域で汚した水をここできれいにせなあかんねん」というのが一般 的です。滋賀県は琵琶湖の中に60ヘクタールもある人工島をつくってそこに建てられました(湖南中部浄化センター)。
 処理場は規模が大きいほど処理単価が安く、しかもリンや窒素の除去施設もつくれるので、高度な処理ができる。でも、デメリットもあるのです。
 例えば、身近なところから下水が遠くの大きな処理場に運ばれていってしまえば住民の意識も低くなる。大規模な事故や天災があれば未処理の下水が一気に集中的に流れ出してしまうのではないかという議論もありました。
 早く施設ができるとか、また小規模な施設の方が住民も気をつけるとかで、どっちを選択すべきか議論になった時代もあります。

理想の小規模分散型も壁に 公共下水道の延伸で動揺

――琵琶湖に入る水はきれいになっているのですか。

中村 現在、下水道が果している役割は大きいと思います。琵琶湖周辺には大規模な流域下水道が4つ、大津市の公共下水道が1つ、そのほかに農村集落廃水処理施設(農村下水場)が200ほど、さらにくみ取りもあるし、2、3日で設置できる戸別 の合併浄化槽、トイレだけの単独浄化槽もある。
 一昔前はとにかくトイレだけは水洗化したい、でないと嫁も来ない(笑い)、と言われたらしいですが、初期には単独浄化槽が多くつくられた。でも単独浄化槽は機能的に問題がありますし、生活雑排水は処理されない。
 その後、厚生省が合併浄化槽を、農水省が農村下水道を推進しました。
 この農村下水道は村の人に交代でチェックしてもらう体制で、非常に画期的でした。地域の水は地域で守るという意識を培い、地元の人が管理にかかわる。また、2〜3年で整備できるメリットも大きかった。しかも事故があっても被害も小さくて済みます。
 まさに下水処理は小規模分散型が良いという考えは、基本的に重要だし正しいでしょう。
 ところが、いろいろな形態の下水道のシステムがあると複雑な問題も出てくる。例えば、自己負担で合併浄化槽をつくったあとで公共下水道が延びてくると浄化槽をつぶして下水道に接続する気になるかという問題がある。

――うまくいかないものですね。

中村 それで、厚生省は「今後7年間公共下水道が来ないところに合併浄化槽の補助金を出す」というルールをつくった。
 農村下水道についても、隣の町には公共下水道の管路が延びてきて住民は下水道料金を払うだけとなれば、「何で自分たちだけ下水場の管理をしなければならないのか」という思いも出てくる。揺れ動いちゃうんですよ。

――琵琶湖の下水道はいまも揺れているんですか。

下水道は社会の縮図、心理が左右 アタマで考えても「解」はない

中村 そう(笑い)。つまり、下水道計画というのはアタマで考えるものじゃないんです。社会の縮図、人間の心理に左右されるものだから、「これが解」というのがない。技術者は基本的に高度な技術を駆使して問題解決したいのです。ところがいまの話は技術とは全く無関係。公共の環境の技術はとくにこういった課題の中で試行錯誤しなければならない。

――地域、文化、価値観によって大きく異なるのですね。

中村 現場によって違うしマニュアルもないから、その場で遭遇して葛藤しながらやっていかざるを得ない。常に悩んだり自分のやっていることを疑ってかかれるような環境にいないと、技術者は複雑な社会問題に対応できない。社会も同様で、試行錯誤して常に検証されないと成熟しないのです。
 そういう意味で日本の公共分野の技術のあり方を成熟させるという意味で少し不幸な時代があった。 公共技術分野は施設基準があって解はこれだけと、縛られた時代が戦後20年ほどありました。このときに育った人が若い環境技術者に対して、社会的葛藤を表に出したり試行錯誤してはいけないと押しつけた時代があった。

――中村さんもその世代ですよね。

中村 まさに施設基準教育を受けました。ただ1970年代の半ば、しばらく外国にいたのでそういう考え方はおかしいんじゃないかと思うようになった。答えを出すことよりも、問題は何かを考えざるを得なくなったんです。

“石鹸運動”予想しなかった効果解決のヒントが隠れている

中村 途上国では日本なら隠れている問題−−金がないとか行政能力がないなど−−がビビッドに出てくることがあります。
 例えばフィリピンのラグナ湖では研究者・マスコミ・市民・行政が協力して、環境汚染する企業をランキングして公表するシステムがあります。私はあるアイスクリーム工場が最低ランク(ブラック)と公表されたためにものすごいダメージを受けた例を知っています。そこで、工場長はじめ職員が材料の無駄 をなくしたり水管理をした。まあ、通常すべきことをしただけなのですが(笑い)、効果 があって翌年はゴールド、改善度でトップになった。そうなるとますますやる気になって他社まで教育に回った。これが相当効果 を発揮し、国際的にもすごく注目されました。インセンティブの重要性に学ぶことがあると思いますね。
 同様に 、滋賀県では“石鹸運動”が起こったときリン値が1〜2年で下がりました。運動当初予想しなかったことで、何年もかけて建設する下水処理場と同じ機能を発揮したと評価されています。技術以外の要素に光を常に当てていると、きっと重要なヒントや課題が浮かんでくると思います。

 

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無鉄砲が持味
 配役のまずい芝居は見る気がしない。公家の役が似合うか細い男が武門の棟梁北条時宗をやるとか、不潔と鈍感を絵に描いたような人物が総理大臣を演じるとか。その点、純ちゃんは総理役にピタッとはまっていると評判だが、本来は「坊ちゃん」に向いた役者だ。かすりの着物、兵児帯、朴歯の下駄 、視線を水平より15度くらい上に据えて石ころだらけの道をまっすぐ歩いていく。幸い、周囲には狸や赤シャツやマドンナを地でやれる助演者がごろごろいる。
 ところがこの役者、実際に演じているのはゴルバチョフと言う歴史的人物らしい。ペレストロイカ(改革)をかかげて颯爽と登場し、旧体制をゆさぶった。その後のゴルちゃんは冷戦を終わらせるという大事業をなしとげたものの、守旧派のクーデターをきっかけに失脚、そのあおりで大ソ連帝国も消滅してしまった。
 筋書どおりにいかないのが世の中。まして無鉄砲が持味の坊ちゃん、いや純ちゃんだ。今ごろになって筋書がないとか、改革後の日本が見えんとか、文句をいう客は「世界は舞台、人間は役者」(シェークスピア)という言葉を知らんのか。無鉄砲でない純ちゃん、それはただの大根だよ。

(天満すずめ)

 

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避暑地から
 暑い日が続くなか、外にでたくないという私の願いを叶えるかのように、急ぎの仕事が舞い込んできた。通 信最大手企業の某部ホームページ作成の仕事である。今回の目玉は部屋を360°見回すことのできる「館内案内」。インターネットのインタラクティブ性を活かしたものだが、そのかわりに生の姿がさらけだされてしまうので見せたくないところまで写 ってしまうし、またチト重い。今回は企業内部のサイトのためみなさんのお目に触れることはないし、社内の充実した回線を使用するので問題ない。凝ったものを作ると多くの人の目に触れる機会が少なく、万人受けを狙うとデータを軽くしなければならないなどいろいろな制約が現れる。そんな想いを抱きながらオフィスで夜明けを迎えた。
 「外にでたくない」怠け者の願いが叶ったお陰で自宅も「外」になってしまった。

頑張れ「科学技術立国」ニッポン
 神戸で催された21世紀みらい体験博。アニマも国土交通 省ブースの企画・会場設営で参加した。赤外線カメラ、地形が浮き上がって見える余色地図、建物・景観をコンピュータ画面 で様々な角度から眺めることのできる景観シミュレーションなど、最先端の技術や構想を展示した。他のブースに目をやると宇宙ステーションやお馴染みの二足歩行する人型ロボットなど。会場はそれなりに「みらい」だった。
 近年科学技術の負の側面がクローズアップされ、科学の発達に疑問を投げかける人が増え、それが理科系離れの一因となっている。
 余色地図を見て歓声をあげ、赤外線カメラの前でポーズをとる子どもたちだが、このうち何人が科学のひらく「みらい」に今の輝く目を持続させるのか―将来も科学技術立国ニッポンであり続けてほしいと祈るのみだ

大物を待ってるぜ
 大阪市の「花と緑の行政史(仮)」が大詰めだ。昭和中期までは公園の増設に力を入れたが、土地取得が困難な近年は路上だけでなく屋上や壁面 など既存施設の緑化へと作戦変更した。実際、見た目の緑を増やすという姑息な手段しか思いつかないのが現状だ。
 “大阪は緑が少ない”との悪口にケッタクソ悪い思いをしている人は多いに違いないが、もともとが砂地と埋立地だから緑は極端に少ないし、育ちにくいのは当たり前。大阪の緑はほとんどが人工パワーでできたのだ。
 もっとも、だからこそ大阪の緑に値打ちがあることを忘れてはいけない。昭和3年に関一市長が「自由空地論」を展開、企業・市民を巻き込んで日本初の都市緑化キャンペーンを始めていたのである。この市長は御堂筋をつくったことで著名な都市計画の大物。本当に大阪という都市の発展を考え、腹の据わった計画を実行した。
 ひるがえって、いまはどうか。大阪の看板は“集客都市”ぐらいしかない。いったい将来何で食っていくのか、腹をくくった施策を実行する大物の出現を渇望する。

(道下弘子)

 

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日本の風俗から台湾を守ろう
 台湾の若者を見て安堵した。東アジアを冒しているというわが国のガキンチョ風俗浸透度が比較的低かったことと、彼らの表情がイキイキしていたことだ。
 まちを歩く若者はちゃんと前を見てるし、MRTの車内でもお行儀はよい(たまにベタベタのカップルもいたが、“ひがみ”と見られるとケッタクソ悪いので言及しない)。
 また、日本でおなじみのファッション―ブスメイクのパンパンスタイル、下着は見て見て!!のイチニの2秒で強姦できる身なり―もかなりマシだった。「露出大歓迎」の殿方は残念かも知れないが……。茶髪が圧倒的に少ないことも安心材料だ。もちろん、一流ホテルへ下着にセッタ(ミュールとかいう)でやってくるのは日本人、アア恥ずかしい。
 日本の恥ずべき風俗はこれ以上輸出したくないし、そんなもので東アジア、少なくとも親日的な台湾の品格が欠落していくのを見るのは忍びない。大人の日本人が謝って廻るのは、せめて外交だけにしておきたい。
 TV各局、週刊誌各社、デザイナー、ファッション雑誌よ……、おまえらには、質の高い流行を創造する国際的義務があることを忘れてはいけない。            

(道下弘子)

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歌舞伎町・雑感
 新宿・歌舞伎町の雑居ビル火災。亡くなった四十四人のうち、最高齢者は五十五歳、最年少は十八歳。当然と言うべきか、三十代と四十代の男性の死者が多かった。日本経済を支えて働く世代は、深夜から未明にかけて遊ぶ人々でもあることが証明された。
 筆者、三十代の某日、「うわさに高い暴力バーとはいかなる所か」と歌舞伎町を徘徊し、「一杯九百円」の女性の声に誘われるまま、座ってダブルを二杯。「私も飲んで良い」にOKして、900×2×2×2=7,200円払って、薄いブランデーに酔いも醒めたことを思い出す。
 事件発生直後のテレビの報道では、おかしな若者が登場した。「人がバーンと集まって…」と語る二十代の目撃者。「バーン」は爆発音でなく、ヤジ馬集合の“音”なのだ。そう言われると画面 はマンガの一コマに見えてくる。若い報道記者は「日本一の繁華街、歌舞伎町で」とレポートした。東京都新宿区という地名や、現場の位 置を示す地図はない。全国の誰でも知っている歌舞伎町だから、説明は要らないわけだ。
 原因を究明する段階になって、全国で消防署による“抜き打ち検査”が盛んになり、ペンシル・ビルの危険が言われた。こういう建物をなくすのは、「都市再生」の大きな柱のはずだが、そのために税金で高い補償金を支払うことだけはやめてほしい。最高齢の死者より年長の小泉さん、石原さん、どうします?  

(有光弘和)


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