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■ 13号.2002.01発行


貧しくとも前途に光が見える時代があった。 今、世界最高水準の豊かさを達成した日本の行く手は深い霧に閉ざされている。 すでに不運な脱落者も出始め、人々の表情には不安の影が濃い。 昨年9月の同時多発テロとその後の推移は世界の想像を超える亀裂を露呈させた。 世界はどこへ行くのか、人間は何ができるのか、年の始めにあたり アニマはお世話になっている識者の方々にお願いし、様々なテーマについて寄稿をいただいた。 読者諸賢が明日に向かって踏み出す手がかりにしていただければ幸いである。


混迷の世界は、漂流する日本はどこへ行く

アニマで読む識者の「展望」と「選択」

近い将来、超インフレはくるか
加藤晃規(関西学院大学教授)
 
 ハイパーインフレといえば年50〜100%以上の物価上昇率を指すと考えよう。この10年くらいではそれはないが、しかし30〜50年のスパンで考えると分からない。あるかもしれない。他方、この10年くらいの間に一定のインフレが仕組まれることは間違いないと思われる。現在進行中の構造改革の後に成長経済を期待すれば、そしてこれだけ円を刷って供給していれば、インフレが起こるのは当然である。国債価格が下がって長期金利が上がり、円安になって輸入物価が上がる方向に進んでいる昨今である。また、若い人や持たざる人にとって適度なインフレは元気がでるし、夢が描ける歓迎策でもある。インフレは、生産力や貿易実態や資本移動実態あるいは社会の格差実態から生ずるだろうが、世界経済のなかでその徴候を読み取ることは可能な時代である。インフレの徴候が出始めたら、政府や金融当局のガバナビリティーがどれだけインフレを管理できるか、に託されている。

茶谷幸治(マーケティングプランナー)
 ここまでデフレが進行すると、インフレ待望論がむくむくと。国破れて山河とインフレあり。日本が破れる? 為替が150円を突破すると、そのままずるずると地すべりの可能性あり。国債価格の急落(金利の急騰)か、はたまた空洞化と人口減少による生産力の急減か。物価が何十倍にもなるような「超」インフレがくるほど国は破れないだろうけれど、強インフレは忍び寄ってるのではないか。いつ、表面 化するか。2007年か8年。このあたりから日本の総人口は減っていく。生産人口はすでに減少しつつある。
 ほんまかいな。でも、そのころには経済国境は今よりもっと希薄になっていて、日本国破れたらさっさとほかへ行きまっせ。そうかな、こんなにデフレでも他国勝負という冒険家があんまりでない国なんだから、日本の国は所詮井の中の蛙(意味違いかな)。

とすると、デフレにもインフレにも耐え、事もなし、いたるところ青山あり、と。青山って死に場所のことですよ。やだね。

松井三郎(京都大学教授)  
 超インフレにはならないが、インフレにはなる。国の借金=国債の返還をするには、インフレ調整が最も簡単である。経済の停滞から脱出して、少しでもが活性化すると政府はインフレ気味の景気誘導を行うと十分考えられる。
 ただ、その切っ掛けが何になるかは現在予想不可能で、偶然性に依存している。私のような環境重視派は、切っ掛けとなるものや、安定した経済発展のため、環境分野に投資を行い経済活性化をすることが望ましいと考える。環境ビジネス、環境産業、環境調和型産業を起こし、市場経済に環境改善欲望を組み込むことが、日本の経済復興の道と考えている。

野山和夫(エコノミスト)
 この設問に答えるのはむずかしい。設問の内容自体が、まずあいまいである。「近い将来」とは何年ぐらい先を指すのか。「超インフレ」とはどの程度のインフレを指すのか。「近い将来」がたとえば5年以内、「超」とは年率10%を超えて加速するインフレと、ここでは仮定してみよう。
 この前提でなら、インフレはまだ来ないだろう。理由は、超インフレの前に、本格的なデフレに襲われる公算が大とみるからだ。現在、日本経済は4年越しのデフレ下にある。GDPデフレーターがそれを物語っている。ただ、この程度の物価下落が続いても、経済システムが破綻するには、相当の時間がかかりそうである。
 本当のデフレは国債の信用急低下、円資金の継続的な大量流出という形でやってくるだろう。その気配はすでに見てとれる。これを防げるか。政府も国民もあまりに呑気過ぎるのではないか。  本格的デフレで日本経済が崩落すれば、その後に超インフレがやってくはずである。

茶谷幸治(マーケティングプランナー)
 人類誕生以来、どんな体制でも経済システムは市場まかせを原則にしてますよ。そのおまかせの程度が問題。  昨今の日本の風潮である競争原理の強化、つまり弱肉強食への激しい傾斜には、眉を顰めています。和を以って貴しとなすを民族哲学にしてきた国民、山河草木に神の存在を認めてきた国民は、強者であることの不義より弱者であることの正義を理解する世界でも珍しい国民です。そんな人々がひとり勝ちの論理に耐えられるはずはないと思うのですが。
 国際競争力はどうするかって。国の経済力が世界ランク上位を競うことなんかやめちゃおう。食いすぎて病気するより少々食わねど高楊枝が正解でしょう。ただ、社会のやさしさにつけこんで甘い汁を吸っているやつは許せない。これはシステムのバグだ。
 強者が威張らず弱者に威厳があり、バグの発生しない市場経済システム!あんた、年初めからなにとぼけたこと言ってんの。

松井三郎(京都大学教授)
 世界の貧富差を平準化する方向で、市場経済システムは運営される。ある意味で永遠に運行されると思う。ただし、時代によって完全な自由市場にはならず、条件が課せられるころからは、自由貿易と市場経済システムに対して地方の環境破壊防止=環境改善の動き―規制が常に対立軸となって、進行する。その意味で「社会」市場経済として今後も運営されると思う。
 中国が「社会主義市場経済」と言っていることとどのように違うのか?経済学者の意見を尋ねたい。

松田仁宏(元日本経済新聞編集委員)
 NYテロの直後、大統領は「ディズニーランドへ行こう」と呼びかけ、誰も行かないから軍拡に乗り出した。市場経済は結局そこに行き着くのか。
 日本は構造改革が実現しても消費不況の地獄が待つ。雇用と需要をどう確保するか。まず休耕政策をやめ食糧を極力自給する。過植の杉桧を伐採して利用し、山は丁寧に自然に戻す。有用物の廃棄を禁止する。その結果 、ゴミと輸入と浪費的商品の生産が激減する。一方、途上国に押されて閉鎖していた生活必需品の製造工場を全面 再開、製品を世界の超貧しい人に超格安で売る。失業者は山や田畑や工場に吸収される。当然、赤字だから税金で支えるが、全ヒューマンパワーと全資源をムダなく利用する日本の経済力は、民生安定と将来への投資、地球的救貧活動の同時実現を可能にする。省資源・環境・援助大国日本は信望を集め安全を保障される。国民は最高の生きがいを得てじゃじゃ馬的市場経済を意志的に制御し、質実かつ美的な生活を楽しむ。
 夢に終わらせたくない夢である。

金山直樹(現代アーティスト)
 非常に合理的で分かりやすく一見進歩的に見えますが個人的には疑問。経済を中心に考える世の中は常に膨張しつづけなければ健全とは言えず、ご存知のように地球の持つポテンシャルは限界に近づいています。といっても19世紀以前のように宗教や権力者が支配するのも反対ですが。今回の同時多発テロはやはり重大な意味を含んでいる。我々はすでに欧米型の価値観に犯されているので見えていない部分があると思う。結果 は数年経たないとわからない。

倉田薫(池田市長)
 私は大国中国について過小評価してはいけないが、過大評価もまたいけないことと認識している。
 昨年11月、多くの市民と共に友好都市締結20周年記念式典のため久しぶりに訪れた蘇州市の発展には目をみはるものがあったし、APECを終えた上海はなおのことである。今回は訪問できなかったが、2008年オリンピック開催を控えた北京もそうであろう。だから「躍進中国」となるのかもしれない。
 一方、自転車、単車、車でごったがえしている道路整備や、下水、ゴミの処理に頭を痛めている幹部の話は実に深刻である。
 多くの人々が行き交う中国、そして一国二制度をうまく使いこなし、都市では街並みが整然と整備されつつある中国は、なるほど驚異的であるが「追いつけるか?」という問いではなく、「いかに共存するか」ではなかろうかと思っている。「日本は躍進する韓国や中国といかに共存すべきか」ではないだろうか!

ポール・ファウスト(帝塚山大学教授)  
  農業や製造業だけでなく、今や企業の間接業務までも中国の大連などで動き出したと言われる。しかも価格の安い物が中国だけでなく世界中のあちこちから日本に入ってきている。もちろん、農業や製造業などが中国や他の国にシフトされれば痛手をこうむる人たちも出てくるのだが、かといって、いくら日本の人件費を押さえたところで、中国の人件費や国土の広さにはかなわないのである。資源の乏しい日本が石油などを外国に頼っているにもかかわらず、それを動かす自動車で勝負したように、自分の得意分野を生かせばいいのである。だから、日本は中国に追いつけるかというよりもお互いに得意分野で分担し、共存共栄を図っていけばよいのではないだろうか。いわば生産革命が起こっている今、日本は日本でしか作れないものを作り、それを生かしていかなければならないと思う。

松井三郎(京都大学教授)
 追いつくのではなく、今世紀のどの当たりで、日本と中国の平均的所得が近づくかが興味深い点である。現在、日本が20倍以上ほどの差である。
 私は、20年で平均的所得が接近すると思う。接近するのは中国都市部の上層階級で、中国奥地の農村部は遅れていて、中国内部の2重構造が中国社会の不安定原因になると思う。
 日本は、農村の低所得を農水省の補助金行政で支えてきたが、それが困難になっている。直接的きっかけが、中国からの野菜、穀物輸入である。中国沿岸部の農業は、日本を大消費地として発展可能であるが、輸送コストの高い内陸部は、貧困で遅れると考えられる。
 それでは、日本が発展するにはより付加価値の高い製品開発が必要になる。IT産業以外に、医薬品、自動車、電気製品であるが、これらもかなり苦戦している。日本が、絶対的に有利なのは環境産業である。しかし、日本の環境産業は国内向けにしかビジネス展開ができていない。  これでは発展が難しい。

 

eコマース、参入するなら…
金山直樹(現代アーティスト)

 SEX産業。やはり人間の原点です。

 

あなたの上司をえらべるとしたら、誰
畑四郎(大阪府立大学名誉教授)

 明治維新は将来計画がきちんと設計されてスタートしたのでない。とにかく幕府を倒して、新しい時代を切り開くことであった。
 現在の小泉改革も族議員や高級官僚が形成している利権のネットワークをぶち壊すことが先決である。抵抗族はそれらしき理由をつけて権益を守ろうとする。しかし道路建設はじめ各種開発計画に付随して公社や法人そして天下り役人までがセットされる。人口減少のつづく今後、各種行事を開催しても年間を通 じて採算が採れることはまず無い。隣の市がやるから、俺達の町もと無理をすると結果 は赤字の累積となる。ここでお互いに我慢をする小泉総理の「米百俵」の精神が必要なのである。広い視野、長い目で物事を考えず、自分達だけは何とか都合よく生きたいとする人達の利権ネットワークには、小泉総理に織田信長のような冷徹な判断と緻密な計画を断行してほしい。自分なら上司として信長を選ぶ。

 

都会に住みたい?田舎に住みたい?
有光弘和(和歌山大学教授)
 「ご主人、イナカは大阪ですか」――東北訛りの警察官から、こう質問されたのは、横浜に住んでいた時である。東京以外はすべて「イナカ」と思っているらしい男に対し、「ジャカシヤィ、大阪は都会ジャイ」と言いたかったが、やめた。
 悪気はなさそうだったし、首都圏から見れば、確かに大阪は田舎くさい。都会であることの条件は、政治・経済の管理機能があること(つまり、その分野のエライサンがいること)、情報・文化の施設が豊富で、その担い手が多いことなどだが、大阪はどうか。人口の多いことではかなり都会らしく、高速道路の交通 渋滞やホームレスの多いという点では屈指の都会だが、総合点で「都会です」といえるか、考えてしまう。
 大阪の泉南郡田尻町と三島郡島本町の二つの住居、勤務先の和歌山市を車で行ったり来たりして、三年間で七万キロ走行。その経験からも、和歌山という都市の住民よりも、「町民」でありたいとも思うのです。スビバセン。
 というわけで田舎しか住む所がない。

加藤晃規(関西学院大学教授)
 私は現在都市に住んでいる。そして、田舎の就業地に通勤している。従って、その双方を日々、住む視点から実感し観察している。両者の大きな違いは時間あたりの活動密度であると思う。都会にいると、外部社会から様々な誘いや情報が飛び込んでくるし、各種サービスの享受も受け身で充分な満足が得られる。ほとんどのことが貨幣で量 られ、時間すら金で買えるのである。逆に田舎にいる時は、すべてを自ら計画的に進めなければならず、それだけ体力と時間が必要になる。この活動密度の差を思う時、一週間のなかで都市と田舎の両方を満喫したい、あるいは、1カ月のなかのリズムで両者を満喫したい。その場合、両者のどちらかに拠点を置き、都市的人間にも田舎的人間にもなれる生活パターンが望ましいが、敢えていえば、都市に軸足を置いた田舎生活の享受が理想である。

畑四郎(大阪府立大学名誉教授)
 この選択は年令、経歴、家族構成、趣味等の要因により、人さまざまであろう。
 自分は満80才、26年前にニュータウンに土地を購入して一戸建の住宅を建て居住。田舎で生まれ育ったせいで、都会の雑踏や喧騒には馴染めない。密集した住宅街やマンションには住みたくない。さりとて全くの田舎に引きこもって村夫子然とした生活はできそうもない。バスやタクシーが便利に使えて、医療機関が利用し易い今住んでいる半都会的な環境がよい。生れ故郷に帰っても、自分が専門としてきた科学技術について語れる友人は居ない。限りなく発展をつづける科学技術のトピックスを専門雑誌や工業新聞で追い、商業主義に毒された没道徳的色彩 の強い現世相の行き先を憂慮しながら暮すのも夢がない。せめて墨筆で戯れたり、関心の深い禅の考え方を追っかけて余生を送ろうと考えている。

本井敏雄(兵庫県長期ビジョン部主幹)  私が存じ上げている大学教授は、大阪ベイエリア臨海部の超高層マンションの最上階に住むんだとおっしゃる。都会の便利さと最上階からの絶景を同時に手に入れる、つまり機能的に生きることと、そこから脱する癒しを日常生活の同じフェーズで実現されようとしている。
 私はちょっと違う。「今日は仕事をする日」「明日はしない日」を明確に分けて、そのための場所も変えたい。仕事は今住んでいる西宮市の臨海部の家を拠点にしてする、オフな時間はどっか田舎で過ごす、いわゆるマルチハビテーションってやつだ。
 しかし、よく考えるとこれはしんどい。歳をとるにつれ移動はつらくなるし、そもそも持てたとしても、そんな複数の住居を維持管理していく元気も甲斐性もどこにあるんだということになる。どっちつかずになって家は朽ち果 て、「マルチハビテーション」が「まあ、朽ち果てマンション」になってしまう。かくして私は夢を見果 てるのである。

 

今、一番やりたいことは
岩本康男(大阪市計画調整局長)
6:30 a.m 起床。自然に目がさめた。そう言えば目覚まし時計は我が家から消えたな。

7:00〜8:00 朝の散歩に出かける。今日は山の手の方に。そう言えば鳥の名前が分かるようになったな。

8:00〜9:00 屋外で朝食。ヨーグルトに手作りのジャムを入れて食べる。そう言えば「朝日」という新聞を読んでいたな。

9:00〜12:00 読書。買って読んでいない本がたくさん残っていて、命との競争だ。そう言えば本に線を引っぱったり、メモを書き入れなくなったな。  

12:00〜2:00 p.m 昼食。できたてのフランスパン、もち論ワイン付。そう言えば大阪府の人は相変らず職場で酒を飲んでいないのかな。ボスは好きなのに。

2:00〜4:00 昼寝。これは言うことなし。  

4:00〜5:00 夕方の散歩。昨日は海岸を歩いたので、今日はタウンウォッチングだ。そう言えば近所の土地が値上りして困っているそうな。  

5:00〜7:00 雑務。そう言えばそろそろ年賀状を書かなくては。手造りは時間がかかるよ。  

7:00〜9:00 夕食。今日も純米大吟醸はうまい。そう言えば女房も楽しそうに食事しているな。  

9:00〜11:00 家族と団らん。そう言えば息子が娘を生んだ。いや違った。息子の嫁が娘を生んだ。女の子はかわいいな。  

12:00 就寝。あしたも目がさめたらよいのにな。

加藤勝美(フリージャーナリスト)
 昨年二月、僅か一週間だが、パキスタンのペシャワールに滞在した。バザールは髭面 の男たちだけの、ある種アナーキーな熱気に満ちた“異界”だった。旱魃のため道路沿いの樹々は緑を失って薄茶け、荷を満載した派手な飾りつけのトラックや、人をぎゅうぎゅう詰めにしたバスが走る路上を、ロバに揺られた男がゆったりと移動し、馬車も通 り、山のような干し草を背負った人間が歩く。珍しくもない乞食は、それ自体一つの生活の仕方だ。そして、アフガニスタンとの国境を越え、往き来して暮らすパシュトゥーン人たち。郊外のギリシャ人たちが住んだ遺跡に祈りの時間を伝えるアザーンの声が響きわたると、それはわれわれ異邦人には牧歌である。イスラムの地に身を置いたのはこれが初めてだった。ここで暮らすごく普通 の人々の生活と意見をじかに聞いてみたいと、パキスタンの国語ウルドゥ語の手習いを始めた。

難波利三(作家)
 いまどき噴飯ものかもしれないが、ごく個人的な願望としてパソコンを自在に操りたい。ワープロは使うがパソコンは無縁だった。
 ある日、家内が頓狂な声を上げた。彼女はパソコンをいじる。インターネットで調べると、「難波利三」に関して511件もの情報が表れるという。本人はパソコンに触れた経験もない、というのに。
 覗き込むと、随分昔の、私自身がとっくに忘れている話まで書かれている。最近、パーティなどで会う初対面 の人で、やたらとこちらの情報に詳しいのがいて驚かされるのは、このせいだと謎が解けた。
 それにしても気味が悪い。本人が関知しないところで情報だけが一人歩きしているのだ。このまま放置すると、パソコンの中の自分に置いてきぼりを食う心配が生じる。それを回避するためには、ぜひともこの文明の利器を制覇、制服しなければならないのだ。というわけで遅まきながら習い始めた。

金山直樹(現代アーティスト)
 借金返済、何もしていないはずなのになぜか増えていきます。

 

世界の明日、私の明日
有岡正樹(熊谷組営業本部副本部長)

夢のまた夢
 日本は世界一の長寿国といわれるが、ほんとうにそうであろうか。縁があってこの年末にも久しぶりにシドニーを訪ねることになっているが、そのたびにいつも思うことである。
 今回も昔仲間とゴルフを楽しむ予定だが、夕方別のパーティがあることを前提に、“2時にスタートを取っておいた”とのメールが入っていたのである。もちろん1ラウンドが前提であるから、いかにコースまで近く、混まずにスルーで回れるかということである。フィーは2千円くらいであろうか。午前中は庭の手入れをしたり、場合によっては家族とテニスということもある。日本では朝6時に家を出て戻るのが夜8時頃、安くなったとはいえ2万円くらいは掛かる。どちらも1日なのである。
 要は1日の「質」が違うのである。スポーツなど戸外で体を動かすことが好きな私にとって、その質を挽回すべく、季節が逆転するオーストラリアでの夏の半年を過ごし、4月から9月までは陽の長い日本でというのが「夢」である。暑さに弱く屋内で手芸などが趣味の家内とは、春分、秋分のしばらくを一緒するだけということになるのかも知れない。

田中徳三(映画監督)
手法は変われど本質は変わらない映画づくり
 日本映画が元気を失って久しい。昔、映画界には撮影所というものがあった。そこには底抜けの映画好きの活動屋達がいた。撮影所は、昔は夢の工場であった。美男、美女がい て人々に夢を送り続けた。スターがスターらしい時代であった。勝新太郎、三船敏郎、萬屋錦之介、渥美清さん達、いずれも個性豊かな、味のあるスケールの大きい俳優である。最近は俳優のほとんどがテレビの世界に育った人達である。その中に素晴らしい俳優は多い。しかしなんとなく小才の利いたサラリーマンタイプが増え、演技もソツのない平均点芝居。容姿まで同じような平均点の俳優が通 用している。テレビがそんな平均点のタレントを作り出している。
 そんな今、映像の世界は大革命に直面している。コンピューターグラフィックの進歩であり、デジタル映像の急速な発展である。フイルム制作を主流とする撮影方法が、根本的に見直されている。フイルムでの撮影がなくなるという大きな技術革新である。
 こんな時代に古い映画作りを、そのままやっていては駄目である。大事なのは、その時代の問題点を掴えることである。技術的な革命があっても、映画作りの本質は変わらない。  活動屋たちがいた日本映画のムンムンするような熱気の溢れた時代は、もう戻ってはこない。しかし今の日本映画界には若い素晴らしい才能の人が沢山いる。この人達によって、新しい映画をとり戻してほしい。これは映画の全盛時代から、没落の時代を経験した男の、想いであり願いである。

石森秀三(国立民族学博物館教授)
ホテル税とプロの人材
 東京都はホテル税の導入を決定した。1万円以上の宿泊費に対して、1泊100円〜200円を課税し、年間に約15億円の税収を見込んでいる。それを観光振興の特定財源にして、観光産業振興プラン「千客万来の世界都市・東京」の実現を図ろうとしている。
 このようなホテル税の導入に対して、鳥取県の片山善博知事が「都民からではなく、取り易いところから取るのは他人のフンドシで相撲取るような考え」と噛み付き、石原都知事は「物事のなんたるかを理解しないで、恥をかくのはテメェの方だ」と応酬。
 いずれにしても、私は数年前から都市利用税ともいえる「宿泊税の導入によって観光振興特定財源の確保を図るべし」と提言してきたので、今回の東京都の決定を喜んでいる。大阪市でも、磯村市長が遅ればせにホテル税の導入を検討していることを表明している。
 観光立都を図るためには、少なくとも2つの要素が重要である。1つは特定財源の確保、もう1つはプロの人材の活用だ。東京都の後塵を拝し続ける大阪市にぜひとも先んじて欲しいのは、都市マーケティングや観光プロモーションを展開する際に、プロの人材を登用することだ。観光コンベンション先進都市であるシンガポールや香港のプロの人材をスカウトして存分に力を発揮してもらえば、かならず新局面 が切り拓けるはずだ。

今竹翠(デザイナー・建築家)
まちの景観、心の景観
 まちをキレイにしよう!!!ビジネスの基盤を作ろうよ。
 デザイン(計画・構築)の技法を使って、自分の商品を、家を、庭を、仕事場を、まちなみを、分解・整理・選択・構築しなおして創りかえよう。
 その時、必らず納得がゆくまで時間を費して「美しい」と思えるレベルにまで高めよう。そうしたら身辺にあふれる目の毒気の毒も、まちの汚れ心の汚れもうんと減り、多分肩と心の荷が少しだけ軽くなり、視界がすき透って21世紀がちょっと明るく見えはじめるだろう。きっと同じ様に少しマシなモノと状態を望んでいる多勢の人びとの共感が得られて、まちを歩く時「こんにちは!」とキレイな目線がかわせて、誇らしい足どりで歩けるだろう。
 そういうまちにだけ、人のいとなみビジネスがはびこると思うんだけど。

加藤勝美(フリージャーナリスト)
アメリカは正義か?
 世界を震撼させた9・11。音は聞こえず、摩天楼が脆くも崩れさっていく映像を見た瞬間の思いは「ついにやったな」というものだった。自由と正義を旗印に利己的な自国優先主義を公言し続けるブッシュ政権に誰が「ノー」を突きつけるのか、と思っていた矢先だった。「善と悪との戦い」と宣言する姿は、絶対不敗を信じて疑わなかった世界の強者が見事に足元をすくわれて狼狽している自分を、強者らしく見せようとするものだった。それならば広島、長崎で無数の市民を爆殺したのも「正義」だったのか。あれは明らかな「人道上の罪」である。アメリカの著名な言語学者、ノーム・チョムスキー(1928〜)は「世界の大半において、アメリカが十分な根拠をもって“テロ国家の親玉 ”と見なされている事実を認めるべきだ」と断言している。世界の最貧国アフガニスタンへの爆撃によってアメリカはいずれ、それ以上のものを、精神的にも物質的にも、失うことになるだろう。

加藤晃規(関西学院大学教授)
関西再生への提言
 都市や地域の再生を通じて日本経済の再生を、というのが小泉政権の都市再生に託したメッセージである。しかし、関西エリアでこれを展望するとき、今のところ容易ではない。関西が人材や資本の目的地(デスティネーション)となる魅力を持っているか、現存する人材や資本資源が流出しない魅力を兼ね備えているか、いずれも心もとないからである。そこで、「企業」や「家業」や「個人」にとって暮らし易い、そして様々な可能性に溢れた地域づくりや都心づくりを目指すことから始めてはどうか。それには、女性就業者や職住近接や都市と農村の交流を中心に据えた都市像、ITやバイオや医療産業の盛んな地域像、教育学習環境や情報メディア環境が優れた都心像、そうしたプログラムを実現できるプロジェクトを優先的に進めてみてはどうか。そのもとで日常生活のなかで情報や文化が生産され、価値創造の機会が多い都心がもたらされると思うからである。

金山直樹(現代アーティスト)
糖尿病と宣告される前に
 戦後日本は文明、とりわけ物質文明に偏った経済至上主義国家を築き上げた、いびつな構造をなしています。人にたとえると油もんばっかりとってきた成人病寸前の中年のおっさん状態です(中年のおっさんに悪意はありません)。やはり野菜もとらないとだめ。栄養にはならないがなくてはならない大切なものなのです。
 文化をおざなりにしてきた結果、アニメを代表とする「サブカルチャー」が異常に発達し今や日本を表現する優れたツールになってます。すでに日本は「豊か」なはずなのですが、実感している人がいったいどれほどいるのでしょうか?
 未だにディズニー、ユニバーサルスタジオなどアメリカンサブカルチャーにのみこまれ、大リーガーには勝てないと思い込み、これ以上何を望むの?といいたくなるほど「物」にまみれて更なる豊かさをどん欲に望んだその先は、「舶来物」に染まっていくことでしょう。進駐軍によって配られたキャンディーとチューインガムに完全にやられて以来、オリンピックが来なかった意味を考えましょう、「あなたは糖尿病です」と宣告される前に。
 最後に、優れた芸術はその時代を見事に描いているのです。
 歴史を俯瞰してみたとき今は本当に「豊か」でしょうか。

高田公理(武庫川女子大学教授)
「ゆたかさ」よりも「楽しみ」を
 より「ゆたかな生活の実現」をめざした「IT基本戦略」が発表されて、一年がすぎた。この間、いわゆる「ITバブル」がはじけ、日本経済は、さらなる不況にみまわれた。
 なぜ、こんなことがおこるのか。中央政府の産業政策の根本がまちがっているからである。
 かんがえてもみよう。65歳以上の高齢者の平均貯蓄額は2700万円だとか。こんなに「ゆたかな社会」は、人類史上、実現されたためしがない。にもかかわらず、たいていの人は「ゆたかさ」が実感できない。無理もない。「未来への不安」が、日々のくらしをさいなみ、世の中に「おもしろいこと、たのしみ」がないからである。
 で、知恵のない政治家や官僚は、あいもかわらぬ土建需要に景気回復の期待をかけ、単細胞の小泉総理は、これまた単細胞のブッシュがアフガン空爆をはじめるや、その「属国」よろしく「物資輸送なりと、ひきうけさせてください」と土下座してしまう。
 もう「ゆたかさ」は、もとめなくとも、いいではないか。それより「おもしろいこと」「たのしみ」をこそさがし、その恩恵にあずかりたい。同時に、理不尽な大国のエゴイズムに「ノー」をつきつけたい。
 そういえば昨年、世界の諸民族の芸能をたのしむためにもよおされた堺の「ワッショイ!2000」のさいには、高齢者を中心に多数の文化ボランティアが「自腹をきって」このイベントをたのしんだ。  支給されるのは「交通費と弁当代」しめて1500円。でも、人びとは、「お客さんによろこんでほしいから、もうちょっと『ええ服』で、もてなししたい」
 そう、かんがえたのであろう。支給をうけた金額を凌駕するお金を支出して、おしゃれとともに、文化ボランティア活動をたのしんだ。
 もう「ゆたかさ」を追求する必要はあるまい。それより、身の丈にあった「たのしみ」「おもしろさ」をさがそうではないか。それは同時にまた「景気回復の妙薬」でもありうるようにおもわれる。  そんな気が最近、わたしには、しきりにするのである。

津田三郎(作家)
提言 パラパラを踊ろう
 新しい年が明けたというのに、この世は混濁した底なしの暗い闇の中である。しかも爛熟したものが腐敗しはじめたのか、あたりにはいちめんすえ臭い匂いがただよっている。
 そうした中で、声高になって「改革だ。改革だ」と、気勢をあげている人がいる。もとを正せば、その人の属する政党が、戦後50余年の間、流し続けた汚泥のために、目詰まりをおこしてにっちもさっちもいかなくなっただけのこと。その洗浄・浄化・煤払いに町衆の痛みが伴うとあって、〈改革〉という未来指向をもった明るい言葉を用いて、町衆たちを幻惑している。
 どこかが狂ってしまったようである。徳川家による一党支配の続いた江戸時代にも、享保・寛政・天保という3大改革が行われたが、町衆たちの奢侈 を戒めたりすることはあっても、町衆たちに無用な痛みを与えたりはしていないのである。
 混迷を深めた幕末動乱の時代、町衆たちは憂さを晴らすために「ええじゃないか、ええじゃないか」と、物に憑かれたように踊り狂っている。幸いことしは、ディスコが流行する年だとか。わたしもことしはディスコに出かけて、パラパラ踊りに専念するつもりでいる。どうやらこの地球も21世紀が最後となって、22世紀を迎えることは、とうてい出来そうもないからである。

成岡昌夫(名古屋大学名誉教授)
バカのひとつ覚え「公共事業の増額」
  景気対策といえば「公共事業の増額」。近年のルーツは、昭和6・7年ごろ浜口ライオン首相の時代に、農村の余剰人口の有効利用として道路網計画を立てて路線整備工事に盛土用の土運びのために農村男女の出動を求めたことにある。トロッコを利用せずモッコに土をのせて天秤棒で運ぶ方法をとり、人々に賃金を配った。当時農村は米作一本で、台風・冷害による不作や凶作で苦しんでおり、東北では娘を売り飛ばすという社会問題まで発生していた。工事の機械化ではすでに鉄道省が試験的にブルドーザーを輸入使用していたが、これらを利用すると金がばらまけないため上記の方法をとった。これが南方における基地建設戦争において米国に劣ることになり、敗因の一つにあげられる。
 霞ヶ関のエリートは、事情が一変している現在でもこの方法が通用すると考えているのだから、おもしろい。バカの一つ覚えというほかない。

松浦南司(神戸外語大学教授)
保守勢力とアメリカ
 1990年代のアメリカ経済はかつてない拡大と好景気で世界を圧倒するかに見えた。しかし現実はITバブルと株価高騰による好景気で、1%の国民が潤ったにすぎなかった。このバブルがはじけてアメリカ経済は本格的な不況にあえいでいる。多くのアメリカ人、とくに保守的な者の大部分は再び過去の贅沢な暮らしと世界に君臨するアメリカに戻れるとかんがえている。ブッシュに代表される右翼政権の確立と保守政治はこの国粋主義の結果 である。莫大な数のアジアや中南米諸国からきた難民を含めても、大多数のアメリカ人は、アメリカこそ全てにおいて世界一だと信じているように思える。しかし少人数の大資本家によって牛耳られる寡頭資本主義のアメリカでは、所得分配はますます悪化し、持てる者と持てない者の距離はいよいよ大きくなってきている。ブッシュ政権による右翼政治、軍事の拡大、貧富の差、人種差別 などがアメリカだけでなく世界中に反米感情を育てる。

自由競争と寡占市場  アメリカは自由市場経済体制こそが最高の経済システムだと信じ、世界中に押しつけ、定着させようとしている。しかしアメリカの主要産業において、数えるほどの大企業だけが生き残り、その状態は独占経済体制と変わらない。大株主が産業を手中に納めているから、寡占経済において大資本家の経済力、政治力は凄絶なものがある。個人も企業も独自の利益を最大にすることこそが最高のシステムであるとする資本主義を発展させれば、一握りの大企業が厖大な寡占企業になるのは当然の結果 である。強い企業が生き残れば独占にならざるを得ない。一方、自由競争のビジネス環境を作るためには、大企業の自由を束縛しなくてはならないという矛盾が生まれるのである。中小企業は、大企業の力が大きすぎるために、大企業を制御し、その活動を取締ってほしいと主張する。日本の規制緩和と構造改革は、益々寡占化を促進し、これこそアメリカ型資本主義が望む市場体制となるのである。

 

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進入社員
 アニマに入社してちょうど1カ月を迎えたある日、鉄道工事の危険性を理解してもらうための教育ビデオの撮影に同行した。
 現場はまだ基礎工事の段階で、鉄骨はむき出し状態。しかも初日は雨という悪条件のおまけつき。このような現場での撮影は初めての私にとって、体に安全帯は付けてはいるものの、昇降階段に昇るのさえ怖じ気づいた。階段の途中で落ちてもタダですまない。ボスからは「安全帯使え〜」の声が何度も発せられる。すぐ横では電車が容赦なく走りぬ けていく。素人から毛を抜いたような私にとっては、現場に着いた段階でビビリまくっていた。
 しかし、いざ撮影が始まると不思議とそれまでの恐怖は消えていた。このような現場でも淡々と仕事を進めていく人達に囲まれていたからかもしれない。あるいは仕事に集中していたからか。
 たとえどんな仕事でもやる前から恐れていては始まらない。これからも進入社員でいこうと思う。

費用対効果
 りんりんじゃらじゃら、アフター6のアニマにベルの音が響く。
 2年にわたる体験見学活動・瀬田川リバプレ隊の隊員交流促進のために開くクリスマス会で、“事務局はかくし芸をせよ”という指令が出たのである。わたしはハンドベル演奏を、ボスは南京たますだれを選択。くせ者だったのは南京たますだれ。テレビで見たことはあるが、簡単に誰にでもできるイメージしかなかった。いざやってみると思いのほか難しく、挑戦したわたしも惨敗であった。
 何時間も費やしてデザインやトレースしたものでもお客の反応が悪いときがある。「できて当たり前」「誰でもできそう」と思われているのだろうか。それも自分のこだわりとして必要。だが、難しさを知るたますだれの経験者だけでなく、一般 の観客にもわいてもらえるような仕事をしたい。
 それではそろそろ練習します。
 りんりん‥‥。

大事でっせ、 地元が知らない情報
 今年も「土木の日」にお呼びがかかり、兵庫県豊岡市でイベントを挙行した。地元の人に地域における土木の恩恵を知ってもらいたいという希望が通 り、「但馬の近代土木遺産」パンフレットも制作することに。余部鉄橋から城崎町の弓形橋梁群まで土木学会が選んだ9つの構造物を写 真とエピソードで紹介した。
 企画はヨイヨイ、カメラマンが泣いた。それらがどこにあるか、わからないのだ。今も使われている構造物ですら使っている人々にも歴史的価値が認識されていないのに、使用価値のなくなった構造物はそこにあるだけ。もちろん案内サインはないワ、視認性は悪いワ。こうして探し回って撮影したのが奏功したのか、一般 の人々にもクライアントにも好評だった。
 道路整備の重要性を小学生に出前授業するための資料づくりでも、地元の情報を中心に構成した。よそでどうかは興味なんぞひかない。地域ごとの基礎情報の収集には骨が折れたが、子どもを納得させてやるぞの気概がパワーの源だった。 当分このセンは崩せません。

 

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