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■ 14号.2002.07発行


[プロフィール]

熊谷博子氏
1951年生まれ。1975年早稲田大学政経学部卒業、日本映像記録センターに入社し、日本テレビ系列の「知られざる世界」など、TVドキュメンタリーを制作。1985年からフリーの映像ジャーナリストに。戦下アフガニスタンの記録映画「よみがえれカレーズ」(共同監督)など、50本近いドキュメンタリーを作る。その後、自らの育児体験をもとにまちづくりを描いた「ふれあうまち向島・オッテンゼン物語」を発表。1999年の「安全・安心まちづくり女性フォーラム」にも関わる。


子どもを持って初めてわかった
地域コミュニティの大切さ

ジャーナリスト、映画監督として戦争、麻薬など危険な現場ルポを続けてきた熊谷博子氏。アフガニスタンではロケット弾が間近に落ちるなか、カメラをまわし続けた。そんな彼女が出産したのは40歳のとき。しかし、大都会での育児は孤独感との戦いであった。子どもを窓から投げ捨てたくなった育児の苦しさが、地域コミュニティの大切さを気づかせた。どん底からよみがえった彼女は今では「右手にカメラ、左手に子ども」。

近所の人たちに目をさまされノイローゼから脱出

――以前、熊谷さんは子ども虐待の気持ちがわかると、講演で話してましたね。

熊谷 38歳で結婚して40歳で出産しました。知り合いのいない土地でマンション暮らし、外出することもなく一日中子どもと家でふたり。もちろん夫は帰宅すれば家事や育児を手伝ってくれるのですが、昼間は壁に囲まれた狭い部屋で子どもと向き合うだけ。育児について相談する相手がいなかった−−育児ノイローゼになったのです。何度も、窓から子どもを放り投げたい衝動に駆られ、必死に我慢していました。
 半年後に、近くの安心できる保育園に預けることができ、ノイローゼが癒されました。周りの人たちとコミュニケーションを持つことができたからです。

――地域コミュニティの大切さが凝縮された話ですね。

熊谷 はじめて気がつきましたね。

――お子さんを持たれてからほかに気づいたことは。

熊谷 いままでバカにしていたことが見えてきました。
 私は今までアフガニスタンだとか危ない所ばかり行ってるわけです。そうするとやはり、自分はそういう仕事をしていればよいのだ、スタッフを引き連れてあっちこっちハードな場所へ行っていればよいのだ、地域のことや子育てのことなんて女子どものやることだ、そう思い込んでいました。でもそれは間違いだとわかりました。ただ、今でもおそらく大半の男性はそう考えているんじゃないかと思いますよ。

子ども通してお世話したりされたりの関係をつくる

――どのような地域活動をしていますか?

熊谷 地元で住民管理の公園を作りました。これは続いていますね。
 あとは、地域で子どもを預かってもらいやすい関係を作っていこう、と。最初、子どもがすごく小さいころはベビーシッターさんに頼っていたことがありました。そうすると“お世話になってるから早く帰ろう”じゃなくて、“10分遅れると10分チャージされるから早く帰ろう”と思ってしまう。お金の関係になってしまったのです。これは嫌だなと思いました。子どもを通 して全く違う関係を作りたいという思いで少しずつ変えていきました。  
 私のほうがお世話になることが多いんですけど、時間のあるときはこちらも預かる。そうやって、子どもを預かってもらえる家を何軒つくれるか(笑い)、頼れる人を何人つくれるか、と考えていくんです。
 この前、10日間家をあけたときは、1日は公園づくりの仲間の家、1日は同じクラスの男の子の家、あと2日はクラスの女の子の家と、子どもを預かってもらいました。今日も私は家に帰らないので、子どもは仲間と遊んだあと、お寿司屋さんをやっている同級生の家に行って、ご飯を食べさせてもらってやっかいになります。で、明日はラーメン屋さん(笑い)。

――すごくいいコミュニティですね、本当に。

熊谷 そういう関係のなかで公園だけじゃなく、あれをやろう、というのが生まれてくるんです。

公園つくった仲間と 田んぼもつくってしまった

熊谷 この前、公園を一緒に作った仲間みんなで田んぼを作ったんですよ。もちろん、行政にも協力してもらって自主管理するのですが。本当に小さな田んぼです。

――収穫はどうでしたか。

熊谷 微々たるものですが、ありました。みんなで稲刈りや縄をなったりもしました。そういう「場」があるといろいろなことができて、地域の関係性も変わってきます。親が地域コミュニティの中にしっかりと根づいて活動していたら、子どもも学校だけじゃなく、遊ぶ世界が広がります。すごくいい循環ができています。

――子どもたちも農業を体験できる‥‥。

熊谷 そう。田んぼなんて知らないから大喜びです。

――大人にも子どもにもいいきっかけですね。

熊谷 そうなんです。ですから、単に子どもを預かっていただくだけじゃなく、こちらも地域でできることをお返しができるので、それほど肩身は狭くないですしね(笑い)。

――子どもがいなかったら、こういうことはなかったでしょうね。

熊谷 絶対してませんね。今、日本にいませんよ。弾に当たってるかもしれない(笑い)。

 

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日本の構造改革
 生後6カ月の女の赤ちゃんの写真が新聞に出た。超豪邸に住み、みんなから最敬礼されるお方の待望のお孫さんである。そこで思い出したのがそのお方の娘さん、つまり赤ちゃんの叔母さんに当たる30過ぎの未婚の女性である。
 一見地味でまじめで、いかにも専業主婦が似合うタイプだが、最近では縁談も聞かない(女性週刊誌の新聞広告で見かけない)。
 家柄、学歴、勤め先がそこそこで逆タマ願望もあるとみたS君に「どや」と声をかけたが、アッサリ断られた。「いつも連れ立ってニッコリしてなならんし、パーティで美人がいてもチラリとも見られへん。浮気の機会はないし、離婚して財産半分もらうのも難しい。保険かけて、いやそれはもっと難しいで」。要するに美人とも自由とも縁のない人生は真っ平というのであった。
 最後の望みをかけたS君が見向きもしないとすれば、あの娘さんの不本意な(と思う)独身は、特殊法人の存在と同じ日本の構造問題ではないのか。もっと注目度が高い赤ちゃんが年頃になったとき、構造改革は成功しているだろうか。S君は「すごい美人なら別 」というが、どちらも心細い話である。

(天満すずめ)

 

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ドキドキもあるけれど
 
6月末、元大阪市建設局の「花と緑の行政史」が完成した。
 足かけ3年を要した編集作業。最終的なデータ訂正から出校、納品までの最後の約2カ月間、集中的に携わった。読みあわせ、チェック、バクダン発見、また訂正と作業に追われ、ドキドキの連続だった。打ち込んだだけでなく、身近な公園や緑化の歴史という内容もあってこの本に愛着が湧き、完成品を手にしたとき満足感でいっぱいになった。
 バクダン(自分でもしかけてしまう)におびえてドキドキするのは本当に嫌だ。胃にも悪い。しかしそれがあるからこそ愛着も持てる。やはりモノを創るには好きにならなくちゃ、てなわけで、この“ドキドキ”は制作という仕事の宿命であり、またやり甲斐だと感じている。
 ドキドキがワクワクに変わる日が来るかしら?

ビックリした‥‥アニマ

 ボスとは以前からの知り合いだが、仕事内容・種類の多様性など、ほとんど知らなかった。
 とりわけ作品群を見てビックリ。社内のニンゲンがいうのもヘンだが、零細事務所に似合わない大作、高度な内容の本・ビデオ作品−−−採用したスポンサーもナカナカの人たちと見た。
 また、予想はしていたが、クライアント相手に大声を出すのもビックリした。あるキャンペーンの打ち合わせに同席した時のこと。某警部補に「当初の意図と違います。そんなやり方だと意味がない」とキッパリ。胸がスーッとした一方で、サラリーマン社会の被害者の一面 をのぞかせた彼は「ボクをイジメないで」といっているようだった。
 ちょっと過激なアニマで一緒に仕事ができるのは幸せだ。

もうイジメません
 鉄道工事現場の新米作業員向けに教育用ビデオ「めざせ安全」(日本鉄道建設業協会大阪支部から受託)をつくった。列車がすぐ脇を通 る危険な工事現場での特有のルールを教え込むのが目的だ。
 同協会本部で以前作られた作品が<芝居もの>で、時にキャラクターが登場してルールを説くという手法だったので、企画検討はそこからスタートした。そんなビデオは絶対にいやだ。<臭い>ものになるし、橋田寿賀子のシナリオのように登場人物全員が解説屋のおしゃべり人間になってしまう!
 これを阻止するためドキュメントタッチで現場の怖さを実感させるシナリオを提出した。OKの返事をもらい喜んで撮影に出かけると、こんどは<やらせ>が待っていた。良い例・悪い例を現場の作業員が演じた。思った絵は全然撮らせてもらえなかった。「じゃかましい」と「勝手に撮らせてくれ」が交じって、クライアントいじめに走ってしまった‥‥。
 完成品は大好評。「えらい目にあわせた」担当のHさんとも仲良くさせてもらっている。しかし、イジメた記憶は大きな負の遺産だ。
 みなさん、イジメはあきません。

(道下弘子)

 

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日本人の色
 サッカーW杯の日本チーム戦、スタンドは青一色。プレイする選手たちのお顔は黄色で、髪は金・赤・茶、それに黒少々。そこで質問。この色の光景に違和感を持ちませんでしたか。
 お祭りやから同じユニホームを着たくなるのが人情や。おじいちゃんも青いユニホームを着てたし、学校の先生もお母ちゃんも近所の兄ちゃんもNHKのアナウンサーも平素から金や茶色の髪やから、不思議はないやんか。
 質問その2。お金を落とさんと帰っていったガイジンはこんな日本人に呆れたらしい。どう思います?
 要するに奴らは勉強不足やったんや。外国や他人さんの真似をするのは日本の伝統や。そんなことも知らん貧乏人が来たんやろ。「チャパツ」は15年ほど前から流行り出し、そろそろ死語になるほどや。こんど来たときは青眼で鼻高うなっとるで。日本人のすごさをもっと知るべしと、言うたろか。
 質問その3。テレビでは「日韓交流バンザイ」と「日本人の応援を韓国人も喜んでいた」ばっかり言うてましたね。両国は仲良くなったんでしょうか。
 確かに反日や嫌韓といわんようになったのは結構やけど、またキックをくらうで。カンカン真っ赤になって蹴りこんでくる相手に、あっあの時の色やと懐かしく思い出すことになるやろ。
 最終質問。あなたのゴマゴマ白髪はいつ金髪になるのですか。
 ほっといてんか。

(道下弘子)

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ルールとジャッジ
 W杯サッカーで日本が決勝トーナメントに進出できたのは、審判のおかげだった。対ロシア戦、稲本のゴールはどう見てもオフサイド。翌日の談話で、稲本は「オフサイドと思ったので、思いきって蹴れた」と話したが、二度と放送されなかった。ドイツの主審が勝敗を演出した。ペナルティーエリア内での日本チームのチャージがファウルに判定されなかった幸運も大きい。
 最初のころのサッカーは、ボールをキープする自軍の選手を先頭に、他の選手は後ろから付いていくラグビー並みのルールだったという。パスを蹴る瞬間の位 置関係で決める今のオフサイドは判定が難しい。ファウルの判定も同様だ。故意に倒れたか、倒されたか。その違反度合いは、単なるファウルかイエローかレッドか。審判次第というしかない。イタリア、ポルトガルの敗退も、レッドカードによる退場を抜きには考えられない。
 代わって経済。日本の金融機関は従来、企業の株式を多く持っていると、含み資産が多く優良とされた。ところが、日本版ビッグバン以降、株式保有の少ない方がリスクは少なく優良と、ルールが変わった。国際基準のBISルールに基づいて、審判の格付会社や株式市場が「売り」と判定し、金融機関は持ち合い解消へ売り続ける。そして今、アメリカ市場で「エンロン」を皮切りに、粉飾決算というファウルを犯す企業が続出し始めている。ゲームを続けるにはルールもジャッジも尊重する以外に途はない。

(有光弘和)


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