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■ 25号.2008.01発行


[プロフィール]

井上章一氏
1955年、京都生まれ。80年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了、京都大学人文科学研究所助手に。87年、国際日本文化研究センター助教授、2002年10月から教授。主な著書は「つくられた桂離宮神話」(1987年サントリー学芸賞受賞)、「南蛮幻想」(99年芸術選奨文部大臣賞受賞)、「美人論」「パンツが見える。一羞恥心の文化史」など。


男権衰え美人栄える今の世の中
新しいフェミニズム現象に注目

ルックス全盛時代がやってきた。モデル、芸能人、女子アナはわかるとしても、気象予報士、競技者、医者、作家、薬害被害者まで、テレビカメラが映し出すのは美人と可愛い子ばかり。フェミニストのおばさんは渋い顔をし、オッサン連中はうれしいような、情けないような。かつての「美人論」の著者、井上章一先生が繰り広げる眼からウロコの時代解釈。

 

肩身が狭かった明治・大正の美人女学生

――先生、また美人論を書かれるんですか?

井上 直したいと思っているんです。

――どの辺ですか。

井上 根本的にね。昔の美人論というのは何を書いたかというと、性格美人とか、健康美人とか言い方がありますよね。さして美しくないけれども性格の明るい人のことを言おうとするわけですよね。いったい、いつ頃、なぜそういう言葉が作られたのかを調べていったわけです。人柄が良いのが本当の美人だというのは、ものを書く人間には書きやすいけれども、ブスがブスだとは書きにくいんです。プレッシャーがかかるわけです。このプレッシャーを私は一種の権力だと。権力の前に多くの執筆家が負けていると考えたわけです。だけど今考え直すと、ずいぶん事態をちっぽけに眺めてしまっていると思うようになりました。

――どうしてですか。

井上 言葉にこだわり過ぎてたなと。もう少し社会史的な広がりを持たせたいと思うようになりました。

――社会史的なとは。

井上 例えば明治・大正時代ぐらいまでの女学校を考えてみてください。校門で、男子がある女子を待ち伏せしていたとしましょう。そうした場合、待ち伏せされた女学生はしばしば退学処分になりました。女学校宛てにラブレターが届いてもそうでしたよ。彼女に何の罪があったと思います?男を誘惑する罪があったんですよ。今なら彼女の罪は問いませんよね。男に問題があると考えますよね。

――ストーカーとかね。

井上 その頃は女の心にブルカとかチャドルを巻かせるような仕組みがあったのだと思います。明治期、大正中頃までの道徳の教科書に美人罪悪論がよく書かれてます。

――教科書にですか。

 

勉強に関しては損をしていた綺麗な女の子

井上 美人は勉強できないとも書いてあります、明治時代の修身の教科書に。美人は要するに社会秩序を乱す要因と考えたんですよ。チャドルこそ被せないけれどもイスラム的な男権主義があったんだと思います。

――そういうことですか。

井上 はい。女学校の授業参観の仕組みがあって、PTAではなくて近所の有力者が来ます。息子の嫁選びにね。授業参観ですからルックスで選びます。当時は平均結婚年齢が低いですから10代半ばで嫁入りしたりします。つまり女学校在学中に出て行く人が多いわけです。クラスの中の綺麗な子は卒業せずに嫁入りするんですよ。卒業式に出る人のことを、卒業面(ヅラ)と当時は呼んだんです。本当に。女学校は嫁入りの斡旋機関だったんです、その意味では。教育史の人はほとんど、そのことを書かないけれども。
 美人の女の子が将来法律を勉強して弁護士になりたいとか、医学を勉強してお医者さんになりたいと、仮に思ったとしてご両親にその想いを告げたとしましょう。でもご両親は禁止するわけですよ。お前は可愛いんやから、ほっといてもええとこ嫁に行けると。反対にブサイクなお嬢ちゃんで家にお金の余裕があり、やや進歩的な志がある場合には、「お前はええ嫁入りの口が期待でけへんから勉強した方がええな。どうやお母さん、この子には学問さそか」ということがあり得たわけです。そのおかげで社会進出を先駆的にする人の多くはブサイクな人が多かったんですよ。論証せえ言われたら難しいんですけど。

――そう言えば、思い当たりますね。

井上 勉強に関しては綺麗な人は損してたんですよ。

――機会を失ってたわけですよね。

 

男女平等になればなるほど美人がのさばる

井上 綺麗なので得をするのは恋愛とか結婚に限られていたと思います。あるいは花柳界とか芸能界にいけば当時も綺麗な人の天下だったでしょ。だけれども、明治・大正期ぐらいの男社会は綺麗な人が家庭以外のオッサン社会で活躍するのを禁じたわけです。ほとんどオッサンのようなオバハンやったら、わしらを悩ますこともないからええやろと、ある種イスラム的だったんですよ。
 ところが今、教育の機会は男女平等になっていますから、女の子も男と同じだけ勉強するようになるわけですよ。綺麗な可愛いお嬢ちゃんがお医者さんになりたいと言ったとき、「頑張りや」と励ます親が普通やないですか。励まされて同じように勉強し同じように努力をする綺麗な子と、そうでない子に社会はどちらへ脚光を浴びせるでしょうか。事態は明白なんですよ。つまり女の人が、男女平等の権利を獲得すればするほど、美人がどんどんのさばる世の中になっていくわけです。
 例えば会社の中で、ちょぼちょぼの企画があったときに、「どれもこれも同じようなもんやな」と。でもまあ綺麗な女の子が持ち出した企画に、「君にやらせようか、君やったらクライアントの受けもええやろし」ということが、あり得へんではないわけですよ。

――わが社でももちろんそうしますよ。

井上 つまり綺麗な女の子は、ビジネスの世界でオッサンのライバルになりだしてるわけです。不甲斐ない男の子なんかは勝てないんですよ、もう。この美貌という価値に目覚めていく歴史を、ある種のフェミニズムとして女性史の中にきちんと書き止めたいという思いを持っています。 今の女性史、フェミニズムの人は、例えばファッション雑誌に出ている衣服などを見て、今の若い女の子が身にまとうような衣服を見て、結局彼女たちは…どう言ったらいいのかな、「男社会はメディアを牛耳っている」「メディアを牛耳り、若い女の子を操っている」「オッサンの目を楽しませるためのメイドに仕立ててしまっている」というふうに議論を組み立てると思います。女性史とかフェミニズムは。そうやって男社会の横暴を暴く書き方をすると思いますが、私はそういう面がないとは言わんけれども、男社会がもっと威張っていたときにはそもそもそういう格好で外は歩けなかったと、言いたい。

――なるほど。

 

オッサンをそそり、いたぶる自由を獲得し始めた

井上 男社会は今、どんどんくずれてきてるんやと。むしろ女権は膨らんできてるんやと。女権が膨らんだからこそ、オッサンをそそり、操り、誘惑し、いたぶる自由を女の子は獲得し始めたんだという方向で女性史を改め直してみることができないかと考えているわけですよ。

――その風潮を男も歓迎しているんじゃないですか。

井上 そうですね。オッサンがよう文句言わんようになってる、チャラチャラするなと言える気骨をなくしている。その分せめて目の娯楽ぐらいは担保しようかという程度の、負け戦の中にささやかな娯楽を見出してるんじゃないかと。それでもオッサンは目で楽しんでるやないかという批判はあると思いますが、基本的に目だけですね。触ったらアカンわけですからプレッシャーがますます強い。もう1つ別口なんですが、裁判の記録を見ると女の人の顔の値段が上がっているんですよ。

――ああ、顔の傷とかね。

井上 60年代だと、モデルとか、ナイトクラブのホステスさんが顔に怪我をさせられても、逸失利益を認められなかったんです。顔に怪我をしても客に酒を運ぶことはできると。顔に痣が残っても服を着て舞台を歩くことはできると。

――そんな時代だったんですね。

井上 ところが70年代、80年代になり、顔の怪我がモデルとしての仕事を妨げるというふうに、顔の商品価値、労働能力を認める方向できています。そして今、普通の高校生・大学生が顔に怪我をして、大きい痣を残されて、「私は本来ならこのランクの会社に入れたはずなのに、この顔の怪我のおかげで面接の印象が悪くなって、この程度の会社にしか入れへん。生涯賃金これだけ違ってくる」という訴訟を起こすことがあります。それを認める判決が増えています。モデルさんやホステスさんやないですよ。
 求人広告で「容姿端麗を求む」とは書けなくなってるけれどそれは建前で、顔面の魅力が持つ意味はどんどん大きくなっている。男権が衰えるにしたがってルックスの持つ力が大きくなっている。これもある種のフェミニズムではないかと。少し前までは女の子が顔の良さで仕事を獲得するなどということはあってはならないことだとされていたわけです。

――男に屈服することだと。

 

女性史が研究するのは社会進出一本やり

井上 その価値観が変わったんだと思います。だけど女性史の研究は、性的魅力の女性史に触れようとせずに、いわば社会進出一本やりで来るんですよ。選挙権をどうやって獲得したとか、公娼制度はどうやって廃止に持っていったかとか、総合職に何パーセント取り入れられるようになったとか、そういう角度ばかりで歴史を描こうとする中に、美人論という文脈を持ち込みたいと。

――女は自分を解放したんですね。

井上 そうだと思います。そういう文脈で捉えなおしたい。で、オッサンが手出しはしないという安心感が強くなれば強くなるほど、女の人はさらに出すことができるわけですよ。
 これは別の文脈なんですが、リオデジャネイロの海岸では水着がすごく小さいんですよ。面積が。紐みたいなビキニなんですよ。日本でもいはるけれども、日本で紐ビキニで海岸を歩いてはる人ってわりと格好いい人が多いじゃないですか。ところがブラジルは、雅山みたいなオバハンが、豊真将みたいなオバハンがへそを前の方に出しながら、肉に食い込んで紐が見えへんのですね。それでやね、はたして彼女らはオッサンに操られた奴隷なんやろか。念のためブラジル人のオッサンに聞くと口を揃えて「目が腐る、堪忍してほしい」と。やっぱりオバハンは自由を勝ち取ったんやと。(笑い)

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イベント大嫌い?
 人混みを好まないのでイベントは自ら進んで行くことはない。行くのはタダ券をもらったときと、おネエちゃんを撮るときだけ。
 大阪モーターショーに出展する近畿地方整備局の担当となり、運営に加えて記録係を仰せつかった。災害対策車両の展示に加え、体験型装置2種類、さらにITSシンポジウムを開催するという内容で、私は趣味を存分に活かすためのありがたい配慮と喜んだ。もちろん、記録にかこつけておネエちゃんを撮るつもり。ところがそれを許さぬ大盛況。なにせモーターショー会場内にある体験型装置は整備局のブースだけ。さらに排水ポンプ車などに乗れるとあってブース内は行列の山。これ以外にも、特製ミニカープレゼントに人がわんさかと、予想どおり来場者は約3万人、アンケート約5000件。人、人、人だった。
 人に酔うことも大きなトラブルもなく、イベントを終えることはできた。記録写真もたくさん撮った。でも、あれだけぎょうさんいるおネエちゃんの記録写真だけは撮れなかった。こんなチャンスを逃すなんて、やっぱりイベントは嫌いだ(笑い)。

 

アホも身のうち
 僕はアホです。いやいや、お笑いが大好きで、アホなネタで笑かしにかかります。でもアニマのクライアントは堅め。どこまでアホしていいのかわからない…だけどみんな笑える機会を待ってるはず――ということで<土木の日イベント>ではbossに内緒の仕掛けでハッチャケました!喜ぶ参加小学生に比べ親御さんのドン引きがつらかったですが…。
 「いつも笑顔、笑いの中から全ては生まれる」が僕の信条です。アホをして、見て、笑う。笑いで和めば共感も持てるし理解も深まる。すごく真面目なことの前にすごく笑うこと。そのメリハリが、人の「記憶」に作用するんだと思います。何でも身につければ力になる。「アホ」も身につければ力に…なるんでしょうかね。    

 

まだまだ発展途上
 勧められて経済産業省のコンペに参加してみた。中小企業と大学を金融機関が仲人した事例を情報収集して編集し印刷、さらにセミナーを開くまでの内容だ。極めて細かい資料をつくり説明に行ったら、課長から係員まで8人が雁首揃えていた。その前で40分しゃべりまくり、後日「合格」の通知を得た。「合格」とは内容選考をクリアして入札の資格を得ましたよ、ということだった。
 いざ札をあけると、全社(といっても3社)とも予算額大幅オーバー。「なんやて〜」。予定価格は300万円以下らしい。要求内容からそれなりの予算を確保していると踏んだのが甘かった。どうも経産省は2回の関所を通らねばならないようだ。これでは民間は疲弊する。
 一方、「業務」と「役務」という区別がある。後者は読んで字のごとく「身体を使ってなんぼ」と思いきや、なかなかのクセモノで頭脳もたくさん使う。この差別化がまったく明確でない。発注側も明快な回答をもっていないようだ。似たようなことをしても「業務」ならオイシイ。
 役所の入札や企画競争など談合防止・公平化対策はまだまだ発展途上、改善の声をより広く聞くシステムは欠かせないだろう。

(BOSS)

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足並みそろえてみんなで一緒に
 土木業界の談合が批判される最大の理由は、税金の不適切な使用という国民への経済的背信行為ゆえである。一方、経済から精神に目を転じてみると、談合の負の側面は自主独立の気概を喪失することにある。横並びを基本とするのであるから、新しい技術や工法の開発などイノベーションに向かう気概は萎え、発注者である官の意に寄り添うことが唯一の価値となれば技術者としての体力は落ちていく。
 ではこれを広く伝える側のマスメディアはどうなのか?巷間言われる官庁内に設置される記者クラブはジャーナリストの精神を堕落させるものではないか。この制度は何度も取材に応じなくてもいいし、不必要な(と思っている)情報は手元に置き、都合のよい情報だけを発表すれば各社横並びで書いてくれるという意味では、情報を出す方に好都合であり、同時に取材する側も無競争状態の安楽さを享受しているという点で一種の共犯関係でもある。結果として、記事の内容がどの社もほとんど同じという現象がおこり、組織の談合化とともに記事の談合化という無競争のもたらす弊害が現れる。
 みんなで一緒にという体質は土木業界固有のものではないかと感じるがいかがであろうか。

京都大学防災研究所 三村 衛

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子年の株価
 十二支のうち、株価の年間パフォーマンスが最も良いのは子年だという。日本の戦後経済の節目の年に当たり、経済のビジョンがそれぞれの年に示された。古くは1960年池田内閣の「所得倍増計画」、1972年は田中内閣の「日本列島改造論」、1984年は第二次中曽根内閣の「民営化路線」。1996年の株価は年末に失速したが、橋本内閣の「日本版ビッグバン」があった。
 前二つのビジョンは文句のつけようのない大変革のきっかけとなった。後の二つは、多少こじつけ気味と国内では受け取られようが、海外の投資家は大きな改革と受け取ったに違いない。評判の良かった「小泉改革」では選挙までして郵政を民営化したが、JR、NTT、JTを株式上場という形で民間に売り飛ばした中曽根路線の実績には及ばず、独立行政法人となった公社・公団の民営化は一頓挫している。日本版ビッグバンは「空白の十年」をもたらし、日本経済はひどい目に遭ったが、外資にとっては日本の金融機関を安く買えた。
 今や、売買高の60%を外国人が占める東証。豊かでないアメリカ人の住宅ローンの焦げ付きをどこが補填するか。アラブや中国の政府系投資機関が“救いの神”となっているが、日本もそろそろ欧米追随でない独自のビジョンを出す好機だ。全くビジョンなしに成立した福田内閣が変身するか、次の内閣が生まれるか。ネズミにたとえれば、ミッキーやジェリーのような可愛いマウスでなく、臭くていじわるなねずみ男とか、ネコ型ロボットのドラえもんの耳をかじり取ったといわれる荒々しいラットの和風ビジョンが子年の株価には必要条件だと思える。  

(有光弘和)

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