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■ 27号.2010.01発行


[プロフィール]

山折哲雄氏
1931年米国サンフランシスコ生まれ。6歳で帰国し、その後岩手県花巻市に疎開。54年、東北大学インド哲学科卒業。59年、同大学院文学研究科博士課程修了。東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、白鳳女子短期大学学長、京都造形芸術大学大学院長などを経て、2001〜05年国際日本文化研究センター所長。
著書は『日本宗教文化の構造と祖型』『仏教とは何か』『神と仏』『臨死の思想』『日本人の霊魂観』『日本人の宗教感覚』『愛欲の精神史』『鎮守の森は泣いている』など多数。


国の安定をつむぐ権威と権力の二重構造
民主党の二重構造も悪くない

権威・権力の交代にはアングロサクソン文明の常套手段「王殺し」と、日本の天皇制に体現される「遷宮方式」の二つのパターンがある。天皇制は、天皇の権威と政治権力の二重構造で、これが国家と宗教を調和させる基礎要素である。国家と宗教の安定があるからこそ、世界に例のない平安期・江戸期の600年もの超長期平和時代を実現に導いたのではないか。山折哲雄先生が歴史観と今の日本について「激しく考え、やさしく語」った。

 

権威・権力の交代は「王殺し」と「遷宮方式」の2パターン

山折 アメリカではchangeを訴えてオバマ政権が誕生し、日本では民主党政権が生まれた。人類の歴史の中で権力・権威の交代を考えると、2つのパターンがあると前から思っています。
 ひとつは「王殺し」。イギリスのジョン・フェザーが『金枝篇(きんしへん)』(岩波新書)という本のなかで「王殺しの理論」を述べています。権力のある人が気力も体力も衰えてくると、若い世代の力を持った人が暴力・武器・軍事力によって殺し、権力の座に就くことです。
 ヨーロッパの歴史を見ていると、権力の交代はほとんどが「王殺し」。だから絶えず外来の民族によって征服や支配されてきた。今のエリザベス女王もドイツのハノーヴァー家直系の人です。実はアングロサクソン文明というのは「王殺し」をやってきた文明なんです。
 もうひとつの交代パターンは伊勢神宮20年ごとの式年遷宮です。遷宮方式とか20年遷宮方式と言ってます。20年ごとに新神殿に入れかえるのは、20年経つと組織・建築すべてが衰えるという考え方が前提になっていると僕は見るわけです。
 前の式年遷宮のときに神社本庁から頼まれて「火焚き翁(ひたきおきな)」の役割をしました。精進潔斎して、遷宮のとき旧正殿と新正殿のそれぞれ西詰めと東詰めの先に二人ずつ配置される。歌人の岡野弘彦さん、指揮者の岩城宏之さん、京都大学の高坂正尭さんら8人でした。そこでかがり火を焚いて、日が落ちて真っ暗闇になって遷宮がはじまると、かがり火を一斉に消すという役割です。
 昼間に旧正殿を見たら、屋根は草ボウボウで石段から階段から壁からボロボロなんですね。「あぁ20年経つとここまで衰えるのか」と思った。20年で建て替えなきゃならないという前提の造り方です。
 遷宮は日が落ちてからの儀式です。最初に神主が「コケコーッ」とにわとりの声を発する。と同時にかがり灯を消すと、そのとたん真っ暗になり、旧正殿の正面の扉がギイーッと開いて中からご神体が出てくる。

――今ぞくっとしました。

山折  絹の幕があるのでぼんやりですが、目の前で見ましたよ。
 先頭に天皇陛下の妹・池田厚子さんが鉢巻きをして、古代の巫女が此の世に現れた!荘厳な…卑弥呼だな。それに先導されてご神体が運ばれる。このあとに長持に入れられたご神宝が次から次へ運び出される。これだけで2-3時間かかる。

――神さんは物持ちなんですね(笑)。

山折  そうやなぁ。ご神宝は150種以上、多分総点数では1000点超えるだろうと思います。
 全部運び出されて空虚になった旧正殿はあばら屋、もう廃屋です。このとき「はぁ〜、古き神死せり」と僕は思った。神さんは新しい正殿に入って誕生した、再生したんです。

 

日本のやり方は死と再生の「遷宮方式」

山折 遷宮は生と死の儀式です。政治的な意味で言うと、権威・権力は20年経ったら一度死ぬ、という概念、原理です。生と死の儀式であるからこそ伊勢の神は永遠に生き続ける。
 僕はね、日本の天皇制のあり方が式年遷宮にそのまま体現していると思う。明治、大正、昭和と天皇は代わり、明治天皇の時代は明治で終わるけれど、明治天皇の権威・天皇の磁力は継承されていく。天皇制の権威がずうっと続いてきたのは、式年遷宮方式だったからです。
 そしてね、20年経てば全てのものが変化する。自然的な成長・変化の過程を権威の継承に起用した儀式でないかと感じました。
 遷宮方式は穏やかな権力交代ができる。殺すのではなく、自然に一度死ぬという形を取る。殺害ではなくて、死と再生、死と誕生の儀式による権威・権力の交代――日本の政治はそういう方式だと思います。

 

だれも説明してこなかった明治維新の無血革命

――明治の大政奉還も奇跡的なことですよね。

山折 そう、無血革命。明治維新はなぜ無血革命かという問題に外国人は非常に強い関心を持ちます。フランス革命、ロシア革命…ヨーロッパの歴史はみんな血を流してきたでしょ。中国もそうです。それに対して明治維新はほとんど血を流さずに権力の交代をやった。これを最初に問題提起したのは英国の歴史学者で国際政治学者のトインビーです。
 トインビーが戦後、日本に来て京都大学人文科学研究所の先生方と共同研究したいと。当時、桑原武夫さんや貝塚茂樹さんがいてね。貝塚さんとの対談でこんなことを言っている。
 「明治維新は無血革命だ。もちろん戊申戦役から西南の役までかなりの人間が死んでいるが、フランス革命で流された血の量とは比較にならない。だから無血革命と言っていい。なぜそれは可能なのかと問うたら、仏教の先生が、仏教の影響で殺生の思想でもあると言った。」トインビーはそれらを総合して仏教の影響だと仮設をたてた。それに対して、貝塚さんは東洋史の専門家だから「いや、儒教だ」。貝塚さんのいう儒教とは武士道でしょうな。あるいは中国には禅譲の精神があり、話し合いで優れた王位後継者を選ぶ。仏教だ、儒教だと論争してるわけですよ。
 そのとき僕はまだ学生でして、碩学ともあろう者が何て単純な議論をやってるんだろう、神道もあるだろうし、もっと色んな要因を考えなきゃ、と思っていました。
 ところが、2001年アメリカで同時多発テロが発生しました。その前にハーバード大学の政治学者・ハンチントンが『文明の衝突』という論文を書き、さらに加筆して本を出版していた。それが世界的に大きな話題になった。21世紀は文明の対立だ、儒教文化圏、キリスト教文化圏、イスラム教文化圏…、同時多発テロは文明の対立の縮図であると訴えた。
 そのハンチントンが東京で講演してるんですよ。冒頭はやっぱり、明治維新がなぜ無血革命できたのかという疑問を呈しています。しかし『文明の衝突』論の中では何ら答えていない。そら、わからんわなぁ。
 トインビーが同じ問題を発して半世紀たってるにも拘わらず、日本の学会は全然答えてないんです。答えてないからこそハンチントンは同じ質問をしたんでしょうね。私は調べましたが、研究は皆無だった。
 司馬遼太郎さんと対談した時に僕はその問題を出したんです。司馬さんは考えて「水戸学の影響だろ」って。水戸学というのは王朝正閏論(せいじゅんろん)というもので、要するに徳川慶喜は朝敵に、足利尊氏になりたくなかったんだという。
 だけど僕は、日本の歴史そのものの中からもう少し考えなければならないと思ったんですよ。

 

国家と宗教の安定した関係が超長期平和社会の基礎要素

山折 日本の歴史を周観すると、長期にわたって平和が続いた時期が二つある。平安時代の350年と江戸時代の250年、あわせて600年です。こんなに長期にわてって平和が続いた国は世界で日本だけ。ここに秘密があると思ったんですよ。日文研にいた時代です。で、この問題についての議論や先行研究を調べたが、これもまったくないんだ。

――今は、このテーマは知られるようになりましたけどね。

山折 「革命」「戦争」に関する歴史書はたくさんあるんだよな。革命好きですよ、日本の研究者は。しかし、350年250年の長期にわたってなぜ平和が続いたかという問題を正面にすえた研究はまったくない。それをどう解釈するかということ。
 これは、僕ひとりの力ではあかんわけですよ。政治経済、外交、軍事や武器の問題、日本列島の地勢とか、あらゆる問題がかかってくるわけで、一人の力に余るものです。
 僕なりに宗教の研究者として最も基本にある重要な点をいうと、平安時代と江戸時代は国家と宗教の関係が安定していた、調和がとれていた、ということです。国家と宗教の安定した関係、調和のとれた関係が、いちばん深いところで時代を平和に導いたのではないかというのが、私の考えです。

 

天皇制は国家と宗教を安定させる大きな要素

山折 国家と宗教を安定させる要因の一つが天皇制。天皇の権威と政治的権力は二重体制なんです。それが安定している時代は平和になる。権威と権力が一元化すると専制君主になる。絶対王政は戦乱の元、ヨーロッパは全部そうです。
 平安時代の藤原政権は自分の孫を天皇にした。孫は権威はあるが政治的権力は全然ないわけです。10世紀にできる摂関政治、これが今日の象徴天皇制の原型だと思っています。
 一度そういう体制というかシステムができると、その後、武家政権になってもひたすら踏襲していく。源頼朝が鎌倉政権をつくって絶対権力を握るんだけれども、王朝には手を突っ込まなかった。足利政権になった時に尊氏も手をつけなかった。義満は危ういところで天皇になるところまでいくけど最後の一歩を踏み出さなかった。信長、秀吉、家康、みな最後の最後のところで天皇の権威に踏み込まない。二重構造ですよ。二重構造を前提に家康が幕府をつくる。その原型はすでに平安時代からある。それはすごいことで、探っていくと式年遷宮にたどりつくのです。

――そこに戻ってきますか。

山折 平安時代と江戸時代は天皇制がちゃんと確立していて、天皇権威と政治権力の関係が非常にはっきりしている。それに対して鎌倉時代から南北朝を経て戦国時代は、天皇権威と政治権力が一応棲み分けながら非常に不安定だった。後鳥羽上皇が打倒鎌倉幕府の陰謀を企んで失敗する、後醍醐天皇が足利政権で正面から戦いを挑んでこれまた失敗する。後鳥羽も後醍醐も専政君主を志向していたんですね。そこを巡って戦国時代が到来するわけです。
 明治維新以後は戦争の時代を迎えますが、出発点は明治天皇だった。明治天皇は明治憲法によって専制君主としての性格が与えられた。天皇が専制君主化すると危ないんだな。
 その経験から、昭和20年以後の象徴天皇制があり、平和な時代が60年以上続いているわけです。平和な時代を特徴づけるのは、天皇制と政治権力の分離、二重構造なんです。

 

神仏共存は社会安定の要素

山折 もうひとつ重要なのが神仏共存の体制ですね。神仏習合という、外来の宗教と神道が共存の関係を結ぶ時代は安定している。鎌倉時代と明治時代は神仏共存の関係を宗教改革というエネルギーによって壊した。つまり、国家と宗教の関係が安定していたということが、ひとつ平和の要因として考えられます。
 ヨーロッパ、中国、インドの歴史で社会が戦争に入っていくのはだいたい宗教権力と政治権力が正面からぶつかっていくときで、例外がない。
 だからね、1000年、1500年で見てみると日本民族は平和愛好民族だったというのがわかるんですよね。ところが、戦前の軍国主義時代のイメージがあまりにも強烈なために、外国だけでなく日本人自身も好戦的な民族だと認識――これはトラウマですよ――そのトラウマから逃れられないから平和憲法をもっていると言えます(笑)。

 

両パターンの要素もつ政権交代民主党の内部も二重構造

山折  日本は式年遷宮方式の権威・権力の交代のシステムがあるのに対して、ヨーロッパの歴史はほとんど「王殺し」。そこで、自民党から民主党への政権交代を見ると、両方の要素があると僕は思う。次の参議院選挙では小沢さんは自民党をたたきつぶすでしょうね。限りなく「王殺し」に近い。そこがおもしろいところ。
 鳩山首相を立てて民主党は二重構造だと言われているが、僕は権力の二重構造が悪いという批判は浅いと、言い続けているんですよ。日本はずっと二重構造でやって来たんだから。
 企業活動だって同じですよ。西洋の資本主義を受け入れながらそろばん主義を進めた。これは資本主義的なものと儒教の論語精神を併せ持つ二重構造でしょ。松下、トヨタに至るまで神道や儒教とか仏教を企業活動のベースにおいて発展してきた。

――社是とか、理念とかですね。

山折 ところが昭和20年以降、二重構造のやり方・方法というのを日本人は捨てたんだね。戦後民主主義は昭和20年以前の価値観を全面否定する方向で動いてきているわけですから。その習性が身に付いたために、今回金融資本主義とグローバリゼーション至上主義に飲み込まれてしまった。二重構造化する力が働かなかった。今ごろ仏教、儒教、神道、伝統的価値観に気がついても時すでに遅し。二重構造化の方法論を失ったために、社会の漂流と不安を導き出した。

――中庸という言葉も死語ですもん。

山折  中庸は二重構造を前提にした意味を持つ。厳しい矛盾・対立があってそれにどう橋を架けるかです。
 面白いんですよ、どうも小沢一郎という政治家の個性は「王殺し」なんですね。腹の底の底で考えているのは王殺し。それに対して鳩山は“友愛”というから、遷宮方式だな。中庸といえば中庸かも知れないけど。穏やかにことを収めようとする。
 それがどういう組み合わせになるかというところが、これから面白い。
 今ね、日米関係がおかしくなっているとマスコミは全部言ってるでしょ。僕はよくやってると思うんですよ。先は多少不安定になるでしょう、けれどもアメリカの色んな譲歩を引き出す。日米同盟が揺らぐかも知れないけれど、じゃあ沖縄の人たちはどうするんだという問題があるわけでね。ちょうどいい時に橋下発言が出たじゃないですか。僕はね、関西空港を米軍基地にしてもいいんじゃないかという話しは去年あたりから聞いていた。まあ、そこまですることはないけれども、今の民主党政権には可能性がある。

 

アジア的価値観“無常”思想から離れてきた日本人

山折  僕はなるほどと思っているのはね、原子力の推進です。これから化石燃料は50年で危なくなり、100年でなくなってくるわけでしょ。50年先、100年先のことを考えるのが政治家であるとすれば、原発の問題は非常に重要な役割を果たす。原発は地方につくられてますが、あれを東京につくったらいい。受益者負担で言えば、東京なんてのは日本の人口の1割を占めているわけだから、あそこに10基つくったって全然不思議じゃないわけですよ。立地条件は地方の方がいいですけどね。

――首都直下型地震が心配(笑)。

山折  大丈夫、日本の耐震技術はすごい。皇居につくれるな。天皇は京都に帰っていただいて…(笑)。廃棄物処理場も東京につくる。そうすれば地方にいっつもしわ寄せがいく“地方の沖縄化”に歯止めがかかる。そういうことと同じなんですね。負担をかけている人に対する補償を、我々はそろそろしなきゃならない。
 戦乱だろうと大災害だろうと、引き受けたらいいんですよ。引き受ける以外ないんですよ。自分だけ生き残ろうと思ってるんだから。

――日本人って、そう思っているんですかね。

山折  そうじゃないの。自分だけは別というところで議論してるよ。
 福祉、介護、医療でも自殺の問題でもサポート・支援・ケア――この救命ボート思想はいくらでも膨張していくわけですよ、際限がない。その思想の原型は旧約聖書にある。ノアの箱船は、大洪水でノアの一族だけが生き残るの話し。生き残りは必ず犠牲者を前提にしているわけです。犠牲を前提にした“生き残り戦略”、これがユダヤキリスト教、アングロサクソン文明の原理ですよ。
 一方、本来のアジア的価値観は“無常戦略”です。大災害に襲われたら、少数は生き残る可能性があるとしても、多くの人間とともに運命を平等に甘受しようという生き方だよね。僕はね、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」はビートたけしの傑作だと思うなぁ。マイナスの意味だけじゃなく、プラスの意味にもとれるんですよ。最後は金持ちも貧乏人も同じだと。地上に永遠なものはないんだから。人は生きて死ぬんだから、その運命を同じように引き受けようと言うのが無常です。
 ところが、なんとなしに自分だけ生き残りたいと思い続けているんじゃないのかな、今の日本人は。だけど、そうはいかんぞと。
 こないだ自民党が大敗したとき、みんな逆風が吹いたって言ったでしょ。情けないこと言うな。

――他人のせいにしています。

山折  そう。そのなかでただ一人まともなことを言った政治家がいますよ。海部さんだ。「盛者必滅」と言いましたね、平家物語の無常の思想。そのセリフをはいて「政界を引退します」。立派でした。
 日本人の価値観は錯乱してるわ。

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いちばん難儀な参加者
 田上山の天神川砂防堰堤の見学ハイキングを企画・運営した。参加者募集はアニマ得意の“草の根広報”で、定員50人に対して110人の応募があった。
 一度、下見に行ったが、アニマBOSS「往復同ルートはおもしろない」のひと声で帰りのルートを変更。本番10日前に再度、草刈と下見に行った。事務所の担当課長をはじめみな田上山は庭のようなもので、BOSSも六甲全山縦走を2回完走したツワモノ。初心者は私だけ!
 登りはゼーゼーしんどいだけだったが、堂山の頂上手前ではお尻は持ちあげてもらうわ、手は引っ張ってもらうわ…。下りがさらに難儀で、砂や岩場が滑りやすくとても怖かった。参加者が滑落するようなことがあったら話にならないと、真に心配になった。
 結局、私は対策箇所のバロメータになったようで、怖がった箇所にはすべてローピングや土嚢設置などの安全対策が敢行された。本番当日は「安全にすごく配慮してくださってる」と参加者は喜び、難なく下山した。
 本番も私がシンガリ、「一番ナンギな参加者やったなぁ」と誰かの声がした (^ ^;
 琵琶湖河川事務所のみなさま ご迷惑をおかけしました。m ( _ _ )m

 

カツアゲ of カツアゲ隊長
 7月7日、天満橋から中之島・剣崎公園まで、大川の川面に2万個の光を浮かべて天の川をつくった。「平成OSAKA天の川伝説」というプロジェクトで、LED光源の光り球に七夕の願いを込めて放流するという企画だ。旧知のH氏の「みっちゃん、手伝え」に、ボランティア承知で乗ったのだ。
 私の役割は広報担当。せっせと各機関に協力依頼に行き、ニュースリリースをつくり、記者発表の段取りや取材対応をする。メディアの食いつきは良く、当日はほぼ全社が取材。翌朝刊では讀賣、産経、朝日、毎日、大阪日日新聞が一面にカラー写真付きで掲載してくれた。
 で、最大の悩みは1000円で放流権などを購入してくれる参加者の確保だった。そこで、人的販売&広報拠点となるサポーターを「100人応援団(別称カツアゲ隊長)」とし、その“就任”をお願いに廻った。「大阪の活性化のために協力すべし」――半ば脅しだ(笑)。
 有り難いことに70人以上が応えてくださった。ポケットマネーで10口1万円を出してくれた人、職場にポスターを貼り付けて販売してくれた人…。
 カツアゲ隊長のみなさま、私がカツアゲしたのですねぇ。

(道下弘子)

 

安藤作品に触れた!
 東大の福武ホール、表参道ヒルズ、淡路島の夢舞台、直島の地中美術館と、安藤忠雄作品に触れて、私の安藤観が好転した。
 売名行為が多く、メディアにのらないイベントには出ない、高い講演料にも拘わらずいつも同じ作品のPRばかり。作品を見ても「日本のまちをコンクリートで固めるな!」と思うことが多かった。
 しかし、今回はちゃんと作品に触れて、優れたアーティストだと理解できた。デザインは建設会社泣かせだが、大規模建造物でも人に疎外感を与えない。自然に畏敬しているし、人のスケール、自然のスケールを超えていない。
 とにかく安藤作品の「良さ」を見出そうというつもりで出かけた撮影旅行。前向きに素直な心が作品に触れる目をつくってくれた。

(道下弘子)

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「戦後」の終わりへ
 「60年安保闘争」の1960年、国会議事堂正門前でデモの先頭にいた大学教授の娘の東大生、樺美智子さんが圧死した。大阪の御堂筋はまだ一方通行ではなかったのに、北から南へ流れるデモ行進が道路幅いっぱいだった。普段は政治に無関心にみえた中学、高校の教師までが参加し、シュプレヒコール「安保反対」を叫んでいた。条約の成立で、「占領軍」はそのまま「駐留米軍」となった。
 その10年後の「70年安保闘争」は「新左翼」と呼ばれた一部の勢力だけの活動にとどまった。「安保から目をそらせるため」ともいわれた大阪・千里での日本万国博覧会(通称「千里万博」)が半年で6400万人の記録的な入場者を集め、日本はお祭りムードに包まれた。日米安保条約は自動延長され、2年後には「駐留米軍」の集積地、沖縄がアメリカから返還され、日中国交回復が実現した。
 現在の沖縄の基地移転問題、中国の習近平伏主席の天皇との会見をめぐる論議はこれらの歴史的経過を抜きにして考えることは出来ない。さらに、当時のソ連(ロシア)は日米安保条約の成立を不満として、鳩山一郎内閣時代に日ソ共同声明で約束した歯舞、色丹の二島返還の約束を破棄すると通告した経緯もある。40〜50年前の国際関係とそれにかかわる人脈、その継承者を一方的に色分けすれば、小沢民主党幹事長は「反米親中」、鳩山首相は「全方位を表明する親ソ」、小泉以降の自民党の各首相は「親米」となろう。何事も善と悪に二分してモノを考える悪しき“アメリカ流”発想だと、明らかにそうなる。
 万博お祭り世代”で、「占領軍」を知る政治家のほとんどが引退させられ、単なる「年金生活者」になってしまった。「戦後」を終わらせるための経験者不足が心配だ。

(有光弘和)

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