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03.岡本隆司「チャイナパワー 東アジア国際政治の原点」
中国の歴史から東アジアの国際政治を検証します。
日時:2010年1月16日(土) 午後2時~4時
参加費:7,500円(事前申し込み) 
定員:7人
会場:京都市伏見区桃山水野左近東町76 京阪・近鉄「丹波橋」徒歩10分、(株)リブアート内

●ゼミナール概要

中国語は日本と同じ漢字を使うので、日本語と同じことばがたくさんある。たとえば、辞典、学習、学校などなど。これらはまったく意味がかわらない。しかし同じ字面でも、手紙、新聞、汽車のように、意味の違うものもある。そして、もともと異なる意味だったのに、同義に変わってきたものもあって、政治にかかわる概念が多い。国家、外交、属国などがそれにあたる。現代の中国という国ができあがる過程は、じつはこの変遷ときわめて深い関係がある。
17世紀の初め満洲族が建てた清朝は、18世紀に東アジア全域をおおう大帝国になる。その版図は、北はアムール川の流域からモンゴル、西はトルキスタン・チベットにおよび、さらに南は東南アジア陸海の諸国を、東は琉球・朝鮮を属国とした。史上空前の広大さといってよいが、しかし全体を唯一のルールで、一律に支配したわけではない。各々の地域では、在来の政治体制・社会構造がそれぞれそのままであり、ただその最上級の君主と支配層を清朝に代えたのみである。だからたとえば、漢人とチベット人には、まったく違う政治が行われていたし、琉球・朝鮮も各々の国王が統治していた。チベットやモンゴルは「属地」とよび、琉球や朝鮮は「属国」というものの、いずれもほぼ自主自立していたわけである。
19世紀の西洋列強は、しかしこうした関係のあり方を理解しようとしなかった。近代国家・国際関係の原則とまるで異なっていたからである。そのうち重大な問題になったのは、中国からみて地政学的に重要な「属国」、ベトナムと朝鮮である。清朝は安全保障的な関心から、「属国」であることを理由に、この両国に軍事的な保護を試み、進出をねらう列強と摩擦、ひいては戦争をひきおこす。すなわち清仏戦争・日清戦争である。
戦争に敗れた清朝は「属国」を失い、それまでの統治体制を根本から見なおす必要に迫られた。そして20世紀に入り、それまで「属地」であったチベットやモンゴルに、イギリス・ロシアの勢力が進出してくると、清朝・中国は「属地」を理由に、新たに直接的な支配を及ぼそうとし、チベット・モンゴルの側は、そこから離脱しようと試みる。これが中国の民族主義(ナショナリズム)・国家(ネーション)の出発であり、こうした構図は東トルキスタン(新疆)・満洲(東北)も同じであった。それに応じて、「属国」「属地」ということばも、中国の不可分な一部という意味に転化する。
20世紀初めに現れたこの情況が、現在の中国と辺境・周辺国との関係を規定し、現代にまでつづく東アジアの国際政治の原点となっている。以上おおまかに述べた歴史過程を今回、具体的にたどってみたい。

●岡本隆司【プロフィール】

1965年京都生まれ。神戸大学文学部卒業後、京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。宮崎大学教育学部講師・助教授を経て、現在、京都府立大学文学部准教授。2000年、大平正芳記念賞、2005年、サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞。
【著書】『近代中国と海関』『属国と自主のあいだ』(川島真と共著)『中国近代外交の胎動』(東京大学出版会, 2009年)
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